松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ズレがどのように屈折しながら発生してくるか

 この作品には、数種類の翻訳があるので、それら全てを友人たちと一緒に比較対照し、各々の日本文のズレが、一つの原文から、どのように屈折しながら発生してくるか調べてみた。そのような個所は驚くべき数に上り……。
http://666999.info/matu/data/hukakutei.php#hukakutei

 前のパラグラフが教室の〈空気〉の不確定性の記述であったとすると、こちらは学習対象そのものドイツ語を日本語に直す行為そのものの不確定性にふれている。
 翻訳の可能と不可能。一つの言葉(例えば「神」)は二千年以上の歴史を経て使われておりドイツの風土と文化に精通しなければそのニュアンスを取り逃してしまう。しかしにもかかわらず、わたしたちはドイツ文学を欲し読みつづけてきたしそれは理解可能であるからこそである。一つの文の訳というありふれた行為には不可能性が溢れている。
 「各々の日本文のズレといったもの」は通常訳者の個性の違いといった方向に理解される。しかしそれは「表現の私有制」といった文化のなかでの習慣にすぎない。ズレの背後の〈原ズレ〉のダイナミズムといったものを感受し探求しようとするのが松下の方法だった。