松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

裁けないのは〈欲望〉である

 東氏は繰り返し「欲望は裁けない」と述べるが、これも素朴な話、「私的な欲望を抱くこと」と「欲望を表現/商品化すること」は違う。ポルノはすでに外へ「表現」された媒体・商品としてある。単なる私的な欲望、個人の中にとどめられた欲望ではない。「ある個人が子どもポルノを観賞すること」と「子どもへの性的な欲望を(自分の私的な欲望として)抱くこと」は、イコールではない。
http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20080218/p1

 わたしたちはポルノ資本主義のなかにいるし、ポルノ資本主義的欲望を欲望している。それを頭から否定しても議論にはならない(否定して説得力があればそれはそれでよいのだが)。
 無意識を再び隠蔽することに専念し「欲望を憎んでいる」*1ところの、児童ポルノがあれば、反ドゥルーズ的であり抑圧してもよいだろう。