松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

反転可能性

この理念的完成態は思われているほど望ましいものではない。むしろ、どこか陰湿である。例えば、それはこんな事態に似ている。すなわち、誘惑者は、各女性を例外的なものとして愛して誘惑する。何か知らないが何処かに例外的なかけがえの無さを隠し持った女として愛して誘惑する。ところが(そして)、誘惑者は、次の女性に乗り換えてゆく。次の女性もまた、例外的な女であるのだから、そうならざるをえない。そうして、誘惑者は、次々と女性を愛して誘惑することになり、すべての女性は等しく平等に愛と誘惑の対象となる。こんな事態に似ているのである。
http://d.hatena.ne.jp/desdel/20080220

 誘惑は危険であるがゆえに魅惑的である。危険性は誘惑/被誘惑の反転可能性にある。ロリコンが「どこか陰湿」の極致であると常に受感されるのは、反転可能性を無視しうるの近くにまで縮小させなおゼロにはしないという卑怯にある。