松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

右翼とは馬鹿だと理解してよい。

田中優子さんの文章

 私は右翼がわからない。なぜ民族主義者なのに日米安保体制に大賛成なのか?なぜ三味線より軍歌が好きなのか?なぜ着物ではなく軍服を着るのか?
 なぜ受験生みたいに鉢巻きをするのか?なぜ古来の地元の神社にいかずに新しい靖国神社に行くのか?疑問はつきない。

 田中さんは上品なインテリなので「疑問はつきない」とおだやかに書いているが、まあ普通にいえば「アホちゃうか、信じれない」という意味だろう。
 日本の伝統にシンパシーを感じ場合によったら伝統をこれからの世の中にも役立てていこうとする人たちが右翼なのかなあー、といった素朴な右翼観を持った人ならだれでもそう思うだろう。というか実は、多くの人は実は明治の真ん中より以前の人々がどういう生活をし何を考えていたのかを全く知らない。だから伝統といわれるとそんなもんかなと思ってしまうが、右翼が伝統と言っているものはほとんど明治以降に造られた物にすぎない。田中さんは江戸文化研究者だから、その食い違いがひどく不条理に感じられるのだろう。
 えーと、この文章は今日の毎日新聞の読書欄にのったもので、片山杜秀『近代日本の右翼思想』という本の書評だ。冒頭の文章は専門家でない田中氏が右翼に偏見をもったいたといったマクラの部分である。で問題は、この本に何が書いてあるかですが、

  1. 「保守」と「右翼=反動」は違う。
  2. 反動とは「失われた過去に立脚して現在に異議を申し立てる」こと。
  3. 「近代文明の進展の前に失われゆく美しい農村とか、麗しい日本語の響きとか、何を持ち出してきても、いつも、それを天皇と結びつけてしまう」

という3点がポイントらしい。
それで、「天皇は右翼が嫌う現代日本の代表でもあるから、右翼は結局現在と過去が癒着した迷宮に迷い込み(略)思考は停止する」という。
 思考停止!   やっぱ馬鹿 なんじゃん。