松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

歌とは、神を畏迫(いはく)することば。

 歌謡は神にはたらきかけ、神に祈ることばに起源している。そのころ、人びとはなお自由に神と交通することができた。そして神との間を媒介するものとして、ことばのもつ呪能が信じられていたのである。ことだまの信仰はそういう時代に生まれた。
 神々との交渉は、神が人とともにある時代にあっては、ことば以外にもその行為のすべてを通じて行なうことができた。たとえば、神がその願いをかなえてくれるかどうかを、無意識な人のことばによって占うこともあった。門べに立って、ゆきずりの人のことばをそのまま神託とみなす夕占(ゆうけ)や、一定の距離を歩いてその歩数で卜(うらな)う足占(あうら)などは、日常のことであった。(略)旅の無事を祈って、野草を摘み、草を結ぶなどの行為が、そのまま予祝の意味をもつとされた。すべてこれらの呪的行為は神との約束の上にその効力を発揮するものであるから、神々もその約束は承知されていたはずである。
p19-20白川静詩経中公新書 isbn:4121002202 C1298

 歌謡の原質というべきものは、人びとがなお、神々の呪縛のなかにある時代に発している。(略1)
 歌はおそらく「訴ふ」という語と語源的に関係があろう。文字の起源的な意味からいえば、歌は神を責めて呵し(かし)、神に訴えるものであった。(略)
神に祈るとき、古代の人びとはのりとを奏したが、神にその祈りを聞き入れさせるために は、今の圧力団体のように、多少の畏迫(いはく)にわたる行為も必要であった。(略)
 歌は呵する声を意味した。目に見えぬ鬼神を動かすには、激情的な表現が必要であった。だからその発声は、日常のことばとちがって、特殊な抑揚を加え、リズムをつけて、荘重でなければならなかった。毆るとは謳うと語源をひとしくする字である。區は区  形の秘密の場所に多くののりとの器である口*1をおき、そこで祈る意であるが、毆るは呵と同じように、これに鞭を加える形である。その声は低く、力強く、威力にみちた般若声(はんにゃごえ)であった。その歌が謳であった。謳歌はのちに祝頌(しゅくしょう)の歌をいう語となったが、もとは神の徳をはやし立て、訴えることばであった。さらに遡っていえば、毆るの字が示すように、それは神を畏迫(いはく)することばであった。
p15-17 白川静詩経中公新書 isbn:4121002202 C1298

 2000年以上前に書かれた「人心によって生じる」という文をどう考えたらよいか?という問を昨日書き留めました。
 白川静によればそのさらにすごし前の時代には、「人心」なんてものは問題にされない、神に働きかけることだけがひとの主要な営為であった時代が存在したのだ、ということだ。
 とすれば、この「凡音之起.由人心生也.」という文は、人びとが「神々」「閉鎖的氏族制の絆」から開放された「ヒューマニズム」の宣言として読むべきなのか? 中国ではイタリアでのそれの二千年前にルネサンスがあったと? そこにも大きな錯誤がおそらくあるだろう。・・・

*1:口の両側の縦線をすこし上に伸ばした形