松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

三位一体の戦後体制

 結局、憲法9条、「平和憲法」といっても、実態は日米安保条約とセットだった。そしてその日米安保条約とは、日本国内に米軍基地を置き、米軍が事実上自由に使えるようにすると言うことだったのです。沖縄にしてみれば、敗戦から復帰までは米軍の軍政、その後は米軍基地の集中によって犠牲を強いられ続けた戦後だった。このように、「平和憲法」そのものが一方では象徴天皇制と、他方では沖縄の犠牲とセットであったことはもっともっと強調されてしかるべきです。そしてそれは、A級戦犯に責任を集中させて天皇を免責したことの一つの帰結だった。天皇を免責した東京裁判の帰結の一つとして、日本非武装化を意味する憲法9条と、それを補完する日米安保体制、そして沖縄の犠牲とが生じたといっても過言ではないはずです。
高橋哲哉 p116「もう一つの「東京裁判史観」」現代思想8月号 isbn:9784791711673

「やはり憲法9条平和憲法は世界の宝だ。これがあったおかげで戦後日本は平和と繁栄を実現できた。日本の軍隊が他国の人を殺すこともなかったし、他国の軍隊に殺されることもなかった。」という物語が盛んに語られています。憲法9条改訂の要なしという政治的選択については私も同じ立場ですが、*1しかしこのような物語に対しては違和感を持たざるをえません。(同上)

アフガンとイラクにおける米軍の活動に対し自衛隊は直接背後支援をしている。 (現地で火器を持って走り回っていないだけマシと言えないことはないかもしれない。)しかし日本の軍隊がすでに戦争に荷担しているは事実であり、憲法9条の美しさを歌い上げるのは欺瞞である。

*1:野原も同じ立場です。