松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

『わたしの名は紅(あか)』

 オルハン・パムク『わたしの名は紅(あか)』わたしの名は「紅」
を読了しました。
 この小説は大傑作です。機会があれば是非読みましょう。和久井路子氏による訳も良いと思う。下記の評者も言うように何より面白いです。去年のノーベル文学賞を受賞した作家です。

そうそう、純文学というより、エンタメ系に近いようなおもしろさだよね。でも、濃厚で、とっても深みがあって。とにかく読みだしたら止まらないおもしろさだった。
http://park8.wakwak.com/~w22/584.htm

ところで、すみさんとにえさんの対話によるこの紹介のページはとても読みやすいだけでなく的確にポイントを突いている。

もうひとつの注目はカラとシェキュレだよね。男女間の話だから、ロマンスと言いたくなるけれど、甘さはなくて、けっこうシビア。初恋を貫きたいカラと、美貌の人妻、とはいえ、軍人である夫はもう帰ってこないっぽい、自分と二人の子供をなんとか幸せに導きたいシェキュレ、この二人がどうなっていくのか。(同上)

美貌のヒロイン、シェキュレには甘さはない。美貌であり苦難の中で自分で運命を切り開いていくと言う点では充分ヒロインなのだが。
彼女はカラに対して言う。

わたしはただ不幸にならないように、子供たちを守りたいと努力しているだけ。
あなたはわたしを愛しているからではなく、頑固に自分を証明しようとしているの。
(p443 同書)

「恋愛」という制度においては、「頑固に自分を証明しようとする」ことを「愛」という呼ぶという錯覚がしばしばまかり通るが、シェキュレはまったくそれから遠いのだ。(これは優れた恋愛小説であれば当たり前のことかも知れないが。)イスラム社会においても女性が全く無権利状態だったわけではないということも分かる。

 この小説のもう一つのテーマは、西欧の文化と東(イスラム)の文化の葛藤だ。真実を表象可能(絵に描くことができる)と考える西欧文化と、真実は神のものであり表象不可能だと考えるイスラム文化。後者のテーマは、細密画家の名人が究極的につねに盲目になるというエピソードが繰り返されるところに表されている。

闇の中の美女よ、言っておくれ。(p445 同書)

と主人公も呼びかける。「闇の中の美女」に呼びかけるすべをわたしたちもかっては知っていた。それを思い出さなければならぬ。