松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

私は流刑者だ。

真向きくる雪に息つまり口ひらく 口は奥くらきかなしみの洞(あな)


髪も裾もなびきて雪野急ぎたり こは追はれゆくゆめにさながら


みずからに科せし流刑(るけい)と下思うこの寒冷の地にながらへて


流刑者の生をさげすみときにやさしくときにうすわらふ監視人もわれ

齋藤史 p617-618「ひたくれない」より『齋藤史全歌集』大和書房昭和52年

下思う(したおもう)という言葉は辞書にもなかった。下思いは、隠された思いのことだそうだ。
数十年信州で主婦として生活者として生きた彼女に嘘偽りはなかったろう。にもかかわらず彼女はなお自らを「流刑者の生」とみなす。

とおき野を救急車ゆくおそらくは天(そら)よりおちし白鳥のため
(p614 同上)

彼女には普通にはない別の次元への感覚が備わっていたかのようだ。「ぼくの地球を守って」などに強くひかれたが挫折した人たちにも勧めたい歌集だ。