松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

布きれ一枚のことでなぜそんなに

 布きれ一枚のことでなぜそんなに騒ぎたてるのかわからない、とミスター・バフリーは言う。もっと重要な問題があるでしょう。革命そのものが危機に瀕しているのがわかりませんか? 
(略)

 信仰の守護者であるミスター・バフリーがヴェールを布きれと表現したのは皮肉なことだ。いやがる人に押しつけるなどというまねをせず、その「布きれ」にもっと敬意を払うべきだ、と私は言わなければならなかった。決してヴェールはかぶらないと誓った私たちがヴェールをしているのを見たら、学生はどう思うだろう? 月何千トマーンかのために心を売ったと言うのではないか? ミスター・バフリー、あなたはどう思う?
 
 しかし、彼に何がわかるだろう。厳格なアーヤトッラーが、盲目の、胡乱(うろん)な哲人王が、ある国とその国民に自分の夢を押しつけ、近視眼的なヴィジョンによって私たちをつくりかえようとした。そしてムスリムの女性、ムスリムの女性教員としての理想像を定め、その理想どおりにふるまい、生きろと私に要求した。ラーレと私がその理想像を拒否したのは、政治的立場ではなく、自分の存在に関わる問題だからだ。ミスター・バフリーにこう言ってもよかった。私が拒否しているのはその布きれではなく、自分がむりやり別の姿に変えられ、鏡の中の見知らぬ自分に憎悪を感じることなのだと。
p229 アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』isbn:4560027544

 いうまでもなく「布きれ一枚のことでなぜそんなに」とはこの間文部科学省や東京都が必死で強制を進めてきた「日の丸」という旗の喩でも、ありえます。
 権力側がむりやり「布きれ」を強制しておいて、そしてその上で「布きれ一枚のことでなぜそんなに」と問いを発するのです。つまりこのとき、「布きれ一枚のこと」に必死になっているのは反対派であり、混乱は反対派が作りだしていることになってしまうのです。イランでもそうだった、ということがこれを読むとよく分かりますね。
 ところで、「厳格なアーヤトッラー、盲目の、胡乱(うろん)な哲人王」ならぬわれらが軽量級の宰相安倍は何を夢見るのでしょうか? どうもやはり「日本人としての理想像を定め、その理想どおりにふるまい、生きろと私に要求する」という夢をもって居るようです。つまらない理想主義を他者に押しつける全体主義教育基本法改正案の可決は社会をその方向に向かわせる原因の一つになる。
「日本人としての理想像を定め、その理想どおりにふるまい、生きろと私に要求する」なんてどう考えてもばかばかしいことだが、そう思わない方も居るでしょうか?居たらコメントしてください。(名無しなどの捨てハンは禁止です。)