松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

きみはひとりだ

 自殺するかもしれない子どもに向かって、「きみはひとりじゃない」といったメッセージがテレビでよく言われたりする。だが「ひとりじゃない」といった時、社会と対的関係のどちらを肯定しようとしているのかあいまいである。後者ならいいが、それが前者とあいまいに入り交じっているときメッセージは効力をもたないのではないか。
 ひとは社会的存在であるが、同時に社会的存在ではない。

きみはひとりだ。徹底的にひとりだ。百年経ってもひとりだ。

そう強く思い詰めることは、自殺につながるのであろうか。だいたい、いじめが嫌なら学校へ行かなければ良いのであり簡単なことだ。それでも行かなければと悩んでいるのは、社会的存在という呪縛にとらわれているからだ。「わたしはひとりだ」と知ることは、私は社会的存在ではないと知ることであり、自由の獲得である。