松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

自殺の権利とか言うべきでない

という意見の方がいる。

だけど「あ、死んでいいよ、死ぬ自由は誰にでもあるから。」
間違い。大間違い。子供に向かって言うのは完全に間違い。
http://d.hatena.ne.jp/nvs/20061115#p1

子供の目に見える範囲でいうなら見えてる場所すべていじめをうけてる精神状態で「逃げ場所」として機能してる」場所と認識できる場所など無いに等しい、したがって目に見えない場所イコール未知の世界イコール「あの世」ということになる。といった図式が成り立つのはすっげー短絡。「いじめ」が短絡にものを考える思考しか残らない状態だということなんだろう。

遺書を書くのもすごく消耗するっていうし無理矢理気持ちを整理しようとすると考え方とか気持ちを単純化するしかないわけで。それは単純化されたものなのか短慮なのかあるとは思うが合理的なんてものはないと思う。

子供に自由などない。
(略)
子供の自殺に合理的などというものはない。

 ある子どもが自殺する。それを、一個の実存の自由な行為と、素直に考えていいのか。
 それは全く間違ったものの見方だ、とnvsさんは言う。出発点は、「短絡にものを考える思考しか残らない状態」に追いつめられている状態だ。そうしたとき「自由」ほど似合わない言葉はない。仮に与えると死への傾斜を加速してしまう。
 逃げ場所は何処にでもある、というのは余裕と教養のある大人の戯言にすぎないと。

なるほど、そうなのだろう。
・・・

「短絡にものを考える思考しか残らない状態」をぬけだせば、その隣には心の中でさえ自己と対話することにより自由を実感できる可能性が存在するかもしれない。でもそれは「抜け出すことが可能であれば」である。


ただ「子供に自由があるなんて幻想。」とはいえないだろう。脳内の自由は自由ではないとするのでない限りは。(11/19追記)