松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

つづき (付、目取真俊の父親の話)(9/7記)

 で、おじさんに出会って「オバさん達が、他人のお金持ちは良い所にねかし、親類である私達をヤギ小屋にねかした事を話す」と「我が事の様におじさんは怒りをぶちまけて」p119 くれる。「三、四時間話している内に砲弾の音もなくなりますと、おじさんは想い出した様に、そうだ、たしか仲宗根の兄さんがハイ病で一人逃げる事も出きず、部落近くの壕にいるに間違い無いから、元気か見てくる」という話を始める。順一少年(当時一五歳)は(その場所は知っている)おじさんなら行き帰り二時間もかかるけど私なら三〇分もあると帰って来ることができる、と言うと「ざあ見てこい」ということになる。
「私はおじさんの家を出ると、山の中の道を手さぐりしながら、仲宗根さんの壕まで行きますと、仲宗根さんは壕の中でブタニクをたいて居りました。」ライ病のおじさんからの“良かったらこちらにきたらどうだ”という伝言を伝える。「坂道から行きたいと思っても行くことができない、と言って一人はさびしいが、しかたが無いと言って」いた。壕の中には米が沢山ある。仲宗根さんは米は持てるだけ上げるから持っていきなさいと言ってくれる。「ブリキカンのふたつに入でて棒で水でもはこぶ様にして山の上に有るおじさんの家」に帰る。おじさんは米を持ってきたのを見て、すぐに(明るくならにうちに)お母さんの所へ行け(帰れ)とせき立てる。
(帰ると)「母はびっくりした様子で今まで二日間どこで何をしてぶらぶらしているのか、戦争と言う事を忘れているので無いかとぶつぶつ言って居りましたが、本来私は人の言う事にあまり耳をかたむけ無い少年でしたから、何をいつまでもぶつぶつ言って居るかと、反対に家族をおこりました。」p121 母の怒りはもっともであるが、“戦争というもの”を知り逃げ延びることができたのは結果的には順一の方であったのは疑えない。(お母さんも幸い生きのびることはできたようだが)軍や役所の命令を聞いていた方が安全だというのは通常時には言えかもしれない。しかし、敗戦という〈時〉にはその常識を自ら解体し自立思想を身につけなければ逆にあぶない。「本来私は人の言う事にあまり耳をかたむけ無い少年」で有るほうが良いこともあるのだ。
二日ほど家族と共に居たが、またふんがいすることが起き、ライ病のおじさんの家へ行くといって山を下りる。すると一二、三人の日本軍に出会う。(この時点で日本軍はすでに散発的行動しかできなくなっていたということだろうか。)順一少年は軍人に「安全で行ける山のふもとを道あんないする様に」言われる。しかたなく湾の上の山まであんないする。「隊長だしい日本軍が私の頭をなれながら、耳元に口をつけて、有難とう、君は帰って良いから」と言って放してくれる。彼らは決死のキリコミに行ったのだ。おじさんの家へ行きしばらくすると「ものすごい鉄砲や他のばくはつの音がして、照明弾が上がり、真昼の様に明るくなて居りました。」
日本軍との出会いと別れである。ここで丁度別の本の話を思い出した。小説家目取真俊の父親は一九三〇年九月生。順一は同年五月生と同じ歳である。目取真俊の父親は県立三中在学中に(まだ一四歳なのに)鉄血勤王隊として戦争に動員される。
「当時、沖縄島北部は宇土部隊(独立混成第44旅団第2歩兵隊)が配置されていて、三中の学徒隊はその指揮下に入り、本部(もとぶ)半島の中央にある八重岳(やえだけ)や乙羽岳(おつぱだけ)などの山岳部で戦闘に参加します」*1
http://map.yahoo.co.jp/address?ac=47308
 順一の方は「国頭郡本部町東136-1」に生まれるとありヤフーマップで見ると本部町役場のそばのようだ。八重岳の北西三キロほどの所だ。偶然だが二人は生年だけでなく地理的にも重なっている。
「北部地域は戦闘が早く終わった」ということになっているらしい。日本軍としての組織が解体したとしても(日本兵は降伏しないので)敗残兵は残る。で皮肉なことにこの敗残兵たちは地元民に対し略奪や暴行をする加害者となる。*2目取真俊の父親は仲間とはぐれるが、また五人の日本兵と出会い一緒に暮らすことになる。米軍から隠れないといけない兵士たちに代わり体の小さな「父親」が(軍服でない服を手に入れ)民家を回り食料を調達する係りになる。このように兵隊と少年の関係は得てして一方的権力関係になる。少年は逃げ出すまでかなりの間兵隊たちのために危険を冒しつづけることになる。(それでも兵隊たちが少年にかんしゃなどしていなかったことが分かるエピソードがある)
「ライ病」と「ハイ病」の大人と対等の友人関係を作り上げた順一少年は、意図したわけではないが、兵隊という権力にさらわれる防波堤をも手に入れた事になる。

*1:p23『沖縄「戦後」ゼロ年』isbn:414088150X

*2:ときとして、あるいは「たいていの場合」