松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ライ病と山積みのカンズメ

前回、「有難とう、君は帰って良いから」と順一少年が隊長に言われたシーンで終わった。もう一人の少年*1の場合は、有り難うと言われることなく(逃げ出すまで)兵隊たちに搾取されつづけることになる。

おじさんの家に行くとおじさんはいなかった。しばらく待っていると急に沢山の人声がする。おじさんと仲宗根さん、それに中頭郡の言葉じゃないかとおもわれる言葉つきの四人家族が「一日ここにおいて下さい」と言っていた。おじさんは「いかなる事が有りましても、責任はご自分で取って下さるなら一日ぐらいは良い」と言っていた。おじさんという方はどんなときでも自分と相手との関係をみつめて丁寧に言葉にしていく方だったようだ。家族が三日間何も食べていないというので、肉みそとイモを出してあげた。明るくなっておじさんは「私はライ病ですが、皆さんはさしつかい有りませんか」と言うと親子はびっくりして顔を見合わせる。四人は家を出ようとする。その途端、七,八人のアメリカ兵が家を取り囲む。娘と母親は庭でかわるがわるアメリカ兵に犯される。「我々を殺しはしないとわかりひと安心は致しましたが、目の前で親子がかわるがわる暴行を受けるのを見て、その時の気持は、小生には筆で説明する事が出来ません。」アメリカ兵の立場から見たら彼らはキリコミ隊シンパの敵国人である。中国大陸での日本兵なら拷問〜殺してしまうということは充分あり得る。(アメリカ兵でもそうした場合はあっただろう。しかし、アメリカ軍には住民を降伏させ食料や薬を与えおとなしくさせるという方針がありそれを実行したというのは確かなことのようだ。中国大陸での日本軍はその点が弱く、だいたい食料をもってないから略奪するしかない、敵をどんどん増やしていたようだ。)
おじさんはあらためて順一に聞く「順一、おじさんはライ病なんだよ。カナはそれでも、おじさんたちと共に生活したいのか」。「ライ病は私に関係が無いからおじさんの家へおいて下さいと私はお願い致しました。」
「すると、仲宗根さんが、カナ*2、ライ病の方は死にはしないがハイ病は死ぬからライ病よりハイ病の方が悪い病気と話して居りました」*3
生きるといってもヤギ小屋でしか暮らせない、戦争などで不意に死ぬ可能性も充分ある、ライ病感染という遠い可能性を心配している場合ではない、理屈ではそうでも普通はなかなかそう考えることができないのに。なぜ順一はここで差別意識を捨てることができたのだろうか。
「もともとハンセン病は感染力の低い病気であり、日常生活で感染する可能性はほとんどない。」http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%CF%A5%F3%A5%BB%A5%F3%C9%C2
と現在はされているがそのような知識はなかったはずだ。だが順一にはできた。でいわばここからかれらは〈おかしな三人組〉を結成することになるわけだ。
「仲宗根さんは、ニクやおいしい食べ物を沢山食べて力をつけて置けば病気はうつらないから、うんとおいしい物を食べるようにしなさいと言って居りました。」p125
軍隊の経験もある仲宗根さんはそういう実に正しい助言をしてくれる。

アメリカは我々を殺さないから*4、ひとつ湾や渡久地の村を見に行こう」とおじさんは言う。「カナは家に居りなさい、おじさんたちは病人でもあるし又年寄りだから、大切にして世の中がどの様に変わるか見なくちゃいかん。」と順一は言われる。このセリフも哲学的に正しい。*5マサカズ(仲宗根さんの名前)は歩くのが遅いからと、結局一人で出かける。
 「二時間ほろおじさんは村を廻り、帰りに米軍のカンズメ、ビスケートなど色々物を持って帰って来ました。」食べようとすると「おじさんが、毒が入ているかしらぬから、おじさんが食べて何でもない時に食べなさい、と言って大きな口をあけましたから、わたしは肉らしい物をおじさんの口に入れる」・・・大丈夫そうだからカナも食べなさいと言っていた。
 「カンズメやビスケットなど山積みにして捨ててある」・・・「明日三人で取りに行く事に」決まる。p126 まあ今にして思えば猿の餌付けのようなもの、かもしれない。
 LALA物資のまずくてまずい脱脂粉乳を飲んで育った最後の世代であるわたしは(実は)。餌付けであろうがなかろうが食料は食料だと居直ることはできる。ただ圧倒的な米軍基地の負担を沖縄にだけ押しつけ、帝国主義本国の権力性に居直るのは正しくないと思う。
(つづく)

*1:目取真俊の父親

*2:方言でぼうや、くらいの意味か

*3:ハイ病というが結核のことかなとも思うがどうだろう

*4:日本人を殺さないという意味か、それとも我々みたいなカタワ物は殺さないという意味かどちらかは不明。

*5:順一は生きのび後に本を何冊も出すことになる。