松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

わたしたちはマトリックスの中にいる。

ところが、WEB2.0という文脈の中では、Amazonがどこの誰がどういう文脈で何をいつ誰のためにどのサイトで購入したかを粛々と記録しても、Googleがユーザーにユニーククッキー割り振って、全検索履歴をトラックしていたって、何の疑問もいだかれない。それがディフォルトになっている。もちろん、そこの部分を気にしている人もいるのだけど、世間一般的な風潮として誰が何を言っても「心配性の識者」とか、「またプライバシー保護団体が騒いでるよ、テラワロス」程度の反応で済んでしまってる。というか、そういう行為が許されるようになったことが最大のパラダイムのシフトのはずなのに、そこが完全にスルーされいる。
http://fladdict.heteml.jp/blog/2006/04/20web20.html
fladdict.net blog: 地主制度2.0追記の1 WEB2.0というゲームには隠しルールがあって、それが隠蔽されたまま進行している

そういうわけで、Googleがキモイとか、搾取構造が悪いとかいうのではなくて、核心が隠蔽されたまま進行される不自然なゲーム展開がキモイ。活気溢れる人間の世界が実はまったく異なった理で動いていて、蓋を開けたら人間は全部(イノベーションエンジンの為の)電池にすぎませんでした、というまんまマトリックス第一部的な構造があるように思える。(同上)

んで、こういう立ち位置からWEB2.0のキーワードを俯瞰すると、まったく違った構図が現れる。

フォークソノミー」「ユーザを共同開発者として信頼する」「集合的知性の活用」「顧客によるセルフ・サービスを通じて、ロングテールを活用する」、「モニターの向こうの不特定多数」(同上)