宣長篤胤の三つのスキャンダル
宣長の最初のスキャンダルとは、その余りにも排外主義的な皇国主義イデオロギーにあります。これについては、http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050326#p2 にも少し書きました。
二つ目のスキャンダルとは、篤胤における神、あるいは救済の問題です。
篤胤は「死後の霊魂のしずまりさきを知り、それによって「安心」をうること」を第一に求めた。あからさまな現世肯定主義の宣長とは対極的に。
この顕世は人の本世にあらず。天神の人を此の世に生じ玉うは其の心を誠にし、徳行の等を定め試みむ為に、寓居せしめ玉うなり。……試み終わりて*1幽世に入らば、尊きは自ら尊く卑しきは自ら卑し。人の本世は顕世に在らず、幽世なれば也。本業も亦彼の世にあり。(篤胤)*2
このような救済の問題は西欧では紀元前から現在まで深い考察が積み重ねられている。しかし
かつて19世紀初頭の言説世界にあって、ことに宣長の主導のもとに形成された古学という学問的な言説世界にあって、この篤胤の「神」の言説の出現はまさしくスキャンダラスな事件として迎えられた。それは既存の古学的言説から予想し得ない特異な言説の出現であったからである。*3
三つ目は、上に引用した本州がイザナミの子宮から出てきたという即物的描写を含む、三大考の宇宙論。
三つ目は上二つとはまた全く位相が違うようです。どう考えたらよいのかこれから考えます・・・