松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

イスラエル・パレスチナ問題と性的少数者の人権問題に関して

http://togetter.com/li/26418 で「イスラエルパレスチナ問題と性的少数者の人権問題に関するちょっとした資料集」がまとめられている。
ちょっと感想を書いてみる。

A。イスラエル政府はパレスチナの人々に対してしばしばあからさまな差別や虐待を行い、反アパルトヘイト運動家であるツツ大主教ネルソン・マンデラなどからも批判を受けています。
B。一方でイスラエルは中東で最も性的少数者に対して差別が少ない国である。
C。そのため一部の性的少数者支援運動家はイスラエルに対してダブルスタンダード的な態度をとっていると批判されることもあります。

Cが意味不明。「C2。そのため一部の性的少数者支援運動家はイスラエルに対して好意的であり、イスラエルの非道を見逃します。」と書けば分りやすい。

D1。セクマイ差別というのはどういう問題なのか?
ガザや西岸、あるいは北朝鮮などでは飢餓やすべての自由を奪われるや住居破壊などが、「普通に行われる」。*1
衣食足りて礼節を知る。
セクマイ差別は「衣食が足りている場合」にだけ主題化されることがあるテーマである。
「衣食が足りていない場合」セクマイ差別を主題化するのは、論者の善意があろうがなかろうが論点の曖昧化に寄与するだけだ。(この場合はシオニズム国家の擁護)(野原)

E。パレスチナの人々が被っている差別も、中東において性的少数者が受けている差別もともに人権に対する重大な侵害であると考えられます

性的少数者が受けている差別も死に至る場合があり、人道の立場に立てば見逃してよい問題でない。したがって双方の支援者は相互理解を深めるべきだというのは正論だ。
しかしこの文章の筆者は、Dの立場(「パレスチナの人々が被っている差別」は、「中東において性的少数者が受けている差別」より大きい)を拒否する立場に、無意識のうちに立っており、この序文は読みにくいものになった。

D2 英語圏のコメ欄とかだけど、例えば国連憲章違反やジュネーヴ条約違反といったあからさまな違法行為をリアルタイムで語るときにフェミやクイアは自分たちの問題意識を持ち込みすぎ。「男/ヘテロを促進し、女/セクマイを周縁化する」とかいう軸の話じゃないでしょ、航海自由の原則や文民の保護の話は。
nofrills 2010-06-03 01:00:30

このnofrillsさんの文章が最初の焦点。順序が逆になったが、Dの意見に近いのでD2という番号をふった。
この時点では、nofrillsさんが論破しようとしているC2の論者は、日本語twitterにはいない。*2
 
次に、tummygrrlさんが登場する。

E2 あからさまな違法行為にフェミ/クィアの問題意識を持ち込む事自体を批判されるのは違うように思います。/
より明確な論点がある時にこれらの観点を持ち込むなという批判はそれをくり返すことになりかねません。

D1(衣食足りて)説を批判する。E2とする。
 

更に近年ではご存知のようにフェミ/クィアを侵略の口実に使う国家がある反面、その侵略への対抗を口実に女性やセクマイへの抑圧を強める国家もある。従って、とりわけアラブ諸国イスラエル/米国をめぐる政治的問題において、これは直接関係はなくても無関係でもない論点です。

ところがこれは少し違うことを言っている。
「フェミ/クィアを侵略の口実に使う国家がある反面、その侵略への対抗を口実に女性やセクマイへの抑圧を強める国家もある。」
論点はセクマイ差別だったのですが、ここで女性大衆一般への差別に拡大される。
戦争は戦争として見るべきだ。「侵略への対抗を口実に女性やセクマイへの抑圧を強める」という事実があったのかどうか、それを重視すべきかどうかはおそらくより小さな問題。それを認めたくないので分かりにくい文章になっている。とD1の立場から書いておく。
アラブ諸国イスラエル/米国をめぐる政治的問題において、これは無関係ではない。もちろんだ。しかしそれをどう理解するか。
軍事力の優劣という帝国主義的な不均等を、情報操作によってさらに敵を貶めているという現状だろう。その認識はD1に親和的だ。

@tummygrrlさんも、@Cristoforouさんも特に批判する意志はないです。すみません。
論点の明確化のために書いてみました。

*1:ある意味でアフリカの一部の地域のほうがよりひどいがここでは取り上げない

*2:英語圏の著名なゲイライツ活動家が、自分がゲイでありゲイライツ活動家であるという事実を根拠として「自分はイランのことはよく知らないが、イランの政治体制を断罪することは正当だ」という態度の上でピンボケした論説を、自身が連載枠を持っている大手新聞ウェブ版上で行い」 http://www.twitlonger.com/show/1l6av1 というのを参考にかかげておく。

Cristoforouさんの訂正について

Cristoforouさん(id:saebouさん)は、この後、私が指摘した部分を含めて、いちはやく「訂正」を行われた。

そのため一部の性的少数者支援運動家はイスラエルに対して好意的に振る舞い、イスラエルが虐殺などの非道な行為を行っても見逃すことがあります。

指摘の趣旨をくんでくださったことを感謝します。
このブログ記事の追加(訂正)が遅れたことをお詫びします。
(6/15記)

あ−あ、tummygirlさんを怒らせちゃった

当たり前だ。
 
今更フォローにならないが、昼間書いた(引用によって作成した文章)も掲げておく。
−−−−−−−−−−−−
私は以前からid:tummygirlさんのファンなので、久しぶりに彼女のブログを読みに行ってみた。

(1)

以前に出席した学会で、イスラエルをめぐる中東の緊張関係を背景に、「イスラエルではLGBTの権利が比較的認められており、<従って>イスラエルこそが欧米と肩を並べる近代国家であって、<従って>中東における国家としての存在の優先権を持つのだ」というロジックがしばしば動員されている、という批判を聞いたことがあります。「LGBTの権利」が、他の点における権利の蹂躙を正当化する目的で持ち出されるわけです。
http://d.hatena.ne.jp/tummygirl/20080225/1203924332

上の記事では nofrillsさんが何に怒っているのか、しろうとには分かりにくいかも?と、 思ったのだが、その議論の原点をtummygirlさんは的確に描写している。


(2)
次に、パレスチナで検索すると、またまた読み応えのある文章が出てきた。

たまたま中国に出張に行ったときに、チベットで暴動がありそれを伝えるニュースを見た。
CCTVの英語放送、で。

チベットでこんな暴動をおこす若者がいて大層困ったことであった、どうやら暴動はおさまりつつあり、人々も平常な生活を取り戻そうとつとめていはいるものの、純真な子供たちはトラウマを負い(「怖かったの〜」という子供のインタビュー挿入)、罪もない善意の市民が巻き込まれて負傷し(老父の無事を確かめにいこうとして暴徒に襲われたという漢人の医師のインタビュー挿入)、本当にもうああいう輩はいけませんね、という雰囲気。
http://d.hatena.ne.jp/tummygirl/20080325/1206423253

暴動の背景には、当然中国当局などからのチベット人に対する長い間の抑圧の累積があるはずだが、それにはいっさい触れず、中国人の側の純真な子供たち、老人などに焦点を当てることにより、罪もない善意の市民が被害にあったという印象を視聴者に与えるような、作り(プロパガンダ映像)になっている、とそのことをtummygirlさんはするどく指摘する。

渡航直前に一応ニュースを見ていたので、その臆面もない粉飾ぶりに苦笑いしか出ない気がする反面、一連の「暴動」を扱うCCTVの報道のてさばきが、たとえばパレスチナの「暴動」に関する「自由世界諸国」におけるそれを見事に反復していることもまた明らかで、それを思うと、苦笑いではすまないどす黒さが。

そしてそのような「暴動を扱うCCTVの報道のてさばき」は、イスラエル自由主義諸国がパレスチナの「暴動」を扱うてさばきの反復そのものであることにも気づく。
この辺の鋭敏ささが、彼女がたいへん優れているところだと思う。

実際、この記事が書かれてからの5年間にも、中国や北朝鮮の国家機関がイスラエルなどの情報操作テクニックを学び、応用し続けていることは、間違いないだろ
う。

だから私が指摘したようなことは、tummygirlさんは当然、踏まえた上で書いておられるのだろう。

セクマイ差別は極限状況では主題化されないか?

togetterに対する上の感想「@noharra: http://bit.ly/csfBuw に感想をかいてみました。」に対して、@tummygrrlさんから応答いただいた。
本来twitter上でこちらも応答すべきかもしれませんが、長くなったのでこちらでお返事します。

「衣食足りて礼節を知る」?何それ。「セクマイ差別は「衣食が足りている場合」にだけ主題化される」?何それ何それ何それ。(tummygirl)
http://twitter.com/tummygrrl/status/15381641412

はああ、すいません。
北朝鮮では飢餓で百万人単位の人が死んだと言われています。ガザや西岸では、餓死こそないとしても、病人が医者にかかれないで死んだり、家屋破壊ですべての自由を奪われることの反復が50年以上続いています。
「衣食足りて」というフレーズを引用したのは、「何らかの最低生活水準というものがクリアーされた場合に始めて」、何か文化的な差異(かっとう)というテーマが主題化されうるだろう(のではないか)、と言いたかったからです。
そして、上記でD1と書いた主張は仮説にすぎず、わたしはそれを強く主張したいと思っているわけではないのです。
 
で、「何らかの最低生活水準というものがクリアーされた場合に始めて」という時の最低水準というのは、極端に低い、餓死すれすれとか収容所内とかの水準を想定しています。
 

 オモニは中国人の密輸屋から中国の金で千元(約14000円)もらって私を中国に出すことにしました。(略)私も食べ物すらない北朝鮮から早く逃げ出したかったので、怖かったけれど中国に売られていくことにそんなに戸惑いはありませんでした。家族が延命するために売りに出せるものといったら、我が家には二〇代の若い女の私しかいなかったんですから。(p86「北朝鮮からの脱出者たち」石丸次郎)

 飢餓が深刻だった1998年のことである。
「食い物がない。闇市場で売るべきものもない。ああ万策尽きたと思った晩の食卓に、思いがけない食事が出てくることが何度かあったんです。でも、「どうしたんだ?」とは女房には訊けません。「コッ(花)」を売ってきたんだろうなと思うんだけど、悪くて訊けない。そうでしょ、僕ら男が何も持って帰ってこられないから、身体を張っているわけです。北朝鮮の主婦のざっと半分は「コッ」を売ったことがあると思いますよ」
(コッ(花)は売春の隠語)(p76「北朝鮮からの脱出者たち」石丸次郎)

 「欲望ー主体」という枠組みが成立してその後に、セクマイというテーマが成立するものであるなら、ここではすでに「欲望ー主体」という枠組みは崩壊していると考えられるのではないか。*1
 

あのね衣食が足りてないのはセクマイも一緒なの。あるいは女性も、あるいは少数民族も一緒なの。問題はね、集団全体の生存が脅かされる時に特定の人達にはその危険がより多く配分されがちで、だから全体に対する脅威と特定の人々への不均等な脅威の配分と、その両方を考えないと駄目だっていう話なの。
http://twitter.com/tummygrrl/status/15382169047

なるほど。でもそれだと社会的差別の一般論になるのでは。
ある種の「主体−欲望」に関わる話は、極限状況では意味を持たない。私はTVゲームが好きだと言ってもゲーム機もパソコンもなければ意味を持たない。それは当然のことだ。それはセクマイについても言えると思う。極端な本質主義を取らない限り。
だから極限状況という設定が恣意的であるかどうか、が論点になるような気がするが。

パレスチナに関しても、パレスチナベースの女性運動もクィアムーブメントも、そこから発信して/そこに繋がってるアクティビストも研究者もいるわけ。君たち論点を曖昧化してるよ、そんなの衣食が足りてからやればいいんじゃないのって、彼女達に言ったらどうかしら。
http://twitter.com/tummygrrl/status/15382323015

そうですね。彼女たちに敵対する意志はありません。
うーん。
まあわたしの論理からは、セクマイの運動ができるのは「最低限のレベル」を彼女たちが、脱しているからだ、ということにはなるのですが。

それから論点は最初からセクマイに限定されていないの。今回の議論でもフェミ/クィアが問題になっているのだし、そもそもこれは超短期的に見ても、9/11 の後の米国アフガン侵攻の時点で「女性解放」が口実にされ、米国の一部のバカフェミがそれに乗っかった時点からくり返されている話でもあるの。
http://twitter.com/tummygrrl/status/15382691543

それは分かりますよ。でも論点がかみあっていませんね。
「軍事力の優劣という帝国主義的な不均等を、情報操作によってさらに敵を貶めているという現状だろう。その認識はD1に親和的だ。」と書いたのだが。
一方に「タリバン(またはハマス)は女性差別的」という問題があり、他方にガザ総体に対する長期間の封鎖があると。人権侵害を量的に比較できるとすると後者の方が大きい。
だが欧米の宣伝機関は前者だけを強調することにより、結局「どっちもどっち論」になって結局イスラエル優位を覆し得ない。
この図式を平板に解釈すると「フェミ/クィアの問題に対する敏感さ」はシオニズムを利する、となるわけです。
こう考えればいいのでしょうか。「フェミ/クィアの問題に対する(観客としての)敏感さ」は利用されてしまうので重視すべきでないと。「フェミ/クィアの問題に対する(当事者としての)敏感さ」は尊重されるべきだと。
で、当事者が私の言う「極限状態」にいる場合は、そこから抜け出すことへの支援をまず優先すべきだ、とD1の立場からはなります。
(6/4 23.33)

「礼節」について

極限状態ではすべての文化活動はできない。
性的少数者の活動(LGBTQ)活動は、文化であり、私が使った言葉では「礼節」に入ることになる。
(6/5 01.29)

*1:(自分と家族の)生存のためにという価値観はまだ崩壊していませんが。