松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

蒋介石がシナ人の農民たちを苦しめているから

 わたしは入学試験の口頭試問の時に、聖戦について問われ、熱心に答えた人間なのだ。「それはシナの支配者の蒋介石がシナ人の農民たちを苦しめているので、そのお百姓さんたちにかわって、人びとが平和な生活ができるように戦っているのですから、聖戦といいます。日本軍は蒋介石軍をその支配者の立場から追い出してしまったら、帰って来ます。自分の利益のために戦っているのではありませんから、聖なる戦いといういみで聖戦というのです。」
 わたしはほんとうにそう思っていた。
p146 「慶州は母の呼び声」森崎和江 isbn:4103517018 C0095

 満州国はすでに建設されていたので、その「国境」を踏み越えて中国の中心部に侵攻するためには理屈がいる。大人は馬鹿だから「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」といった意味不明な言葉にだまされてくれるが、小学生はそうはいかない。小学生にも分かるような理屈で言うならば上のようになる。上のような理屈を大人に対して説かなかったのは、日中開戦直後の戦争はすでに、上の理屈ではとうてい説明できない事態になっていることを大人たちは知っていたからである。南京大虐殺の実態は知らなくとも、日本軍が現地の農民から食糧を奪って進軍していたわけであり、農民から歓迎されていたわけではないことを大人たちはうすうす知っていた。

神道というもののもっとも上質で厳粛なものがきちんと

天皇の神事の姿は初めて見るものではないが、年間30回という、さすが神主の元締め的なお姿にはやはり畏怖した。侍従だったか、明仁陛下は神事で二時間+二時間の正座をするために、あのお年で今でもテレビは正座で見るとのことであった。明仁陛下は根っからの近代人である。が、そのなかに、おそらく神道というもののもっとも上質で厳粛なものがきちんと居座っているのだ。そしてそれは昭和天皇にもあった。どこから来た思想なのか、王道というものがある。

 この精神的な力というか、信頼が日本を支えているのかもしれないと思うと、私はなんと言っていいかわからない。ここには、そこいらの頭でっかちの右翼だの左翼だのが見えないものがある。それでいて農協のおばさんはきちんと見えている。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090411

「ここには、そこいらの頭でっかちの右翼だの左翼だのが見えないものがある。それでいて農協のおばさんはきちんと見えている。」これは小林秀雄ですよね?

唯、近衛首相が、(略)「夫々の立場に於て臣節を尽す」と言ったのは、(略)唯ひとつきらきらと澄み渡っているような気がした。これは主張や意見や原理などでなくただ悲願であると思われ、首相のこの詩人的な悲願がややもすると又種々の不純なものに絡まれてしまいそうな危うさをおぼえさせられたりするのであった。
「有心」蓮田善明 *1


神道というのはひとつの信仰であり、日々新しいそれをfinalvent氏が今日発見し感動することによって彼の存在様式が一瞬リフレッシュされたのなら、彼にはそうする権利があるはずだ。そうなのかもしれない。

*1:p354 筑摩書房 現代日本文学大系61

女性は銃剣で下腹部を突き刺されて

某日兵士が民家に乱入し少女一人を見つけた。無理矢理に衣服を脱がせ、その父母に両足を持たせたうえ、かわるがわる強姦した。続いて父にも服をぬいで娘を強姦するよう命令した。しかし応じなかったため、兵士は銃剣で父親の腕を突き刺し、父母は同時に命を落とした。 一般の少女は身体が未発育で日本兵の獣欲を満足させることができないため、まず陰部を手で引き裂いてから輪姦した。 成人女性は輪姦後、多くが銃剣で下腹部を突き刺されて殺された。また、ある婦人は妊娠数か月であったが、兵士による輪姦後に出血が止まず命を落とした。また兵士は各所広場で常に好き放題に強姦していた。ある日、某国領事は兵士3人が1人の女性を輪姦しているのを目撃するや、すぐその場に行き穏やかに忠告した。しかし兵士は頬をたたき銃で脅かしたので、領事は止むを得ず我慢して立ち去った。》(『南京事件資料集 2 中国関係資料集』より。下線とカッコ内は引用者)
http://www.jca.apc.org/nmnankin/magaz303.html

原文「獣兵」とあったのを「兵士」と置き換えてみた。
日本兵を「獣兵」と書いているのは中国側の主体であり、(認識においてそれに近づかざるを得ないとしても)わたしたちが読むときはまず少しはニュートラルにそれに近づくところから始める方がよいと判断したからである。
finalvent氏は、「信仰心」のなかで神道と王道を無造作に混同し感動しているが、そのような信仰心と、女性をレイプしまくった南京というイベントは無関係だろうか。無関係かもしれない。
しかし、神道と王道を無造作に混同し感動すること、「近代化という意味での日本を原点とする浸潤的な、滑らかな動き」を強調し、ある人びとを「日本人でもあった」とカテゴリー化することにより「わたしのイノセンス」を脅かす他者性を消去する、そのような振舞。このような振舞と「女性をレイプしまくった南京というイベントをわたしたちが(そしてヒロヒトが)都合よくも忘却に成功した」ことは密接に結び付いている。

言葉足らずにも限度があるは、0418への評価

finalvent氏が、大勢順応以外のたいしたことを言っていない、なにか言いたいことがあるはずなのにそれを極端に言葉足らずのまま放置している
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090423#c1240608772
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自分の考えを言葉にすることに対して誠実でないのではないでしょうか。時間は十分あったわけで、ブログという表現形態をなめているのかそれなら別にかまいませんが、自分の思想を突き詰めていくことを遠慮しているのではないでしょうかね。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090423#c1240665053(野原)

彼のブログほとんど読んでないので一般論として書いてしまって、他の文章はもっと普通だったので、勇み足だったかもしれません。これはあくまで、http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090418/1240012166(コメント欄含む)について。反植民地主義についてほかに言及した文章があれば日付を教えてください。(>みなさんへ)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2003/11/119.html この20031119も精一杯書いていて好感が持てる。ここから1mmも進歩できず後退している、という批判であるわけだが、まあ難しい問題だからね。

戦争や国家犯罪に「責任があるのは国家であって自分ではない」というのは、憲法の前文にちゃんと書いてありますよ。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090418/1240012166#c1240701882

そう、こういうふうにみんなが噛み砕いてしゃぶりたおすことができるような文章を書いていただきたい。
(4/26追記)

誤読ではある。

神道というもののもっとも上質で厳粛なものがきちんと」への訂正的補充。
「追記」読んでなかった。

私はその意味ではI11さんとはまったく異なって、人を善意の内に殺しかねない「国の敵」でありたいと思う。人は、その生涯を「中学生が初デートに行って帰ってきた時みたいにはしゃぐ」ように自分の喜悦のために生きるほうがよい。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090411/1239408289

吉本、加藤典洋ふうの私生活優位主義の確認。
本文にもこうある。「そしてその芯の強さに、感銘もしたが、恐怖も感じた。こういうといけないが、これこそが天皇というものの怖さなのだ。」
「 山本七平が生涯をかけて戦ったものが、まだそこにある。単純に忌むべき敵ではないが、これをどうしたらいいのか私には皆目わからない。山本もそう思ったのだろうというのがよくわかる。」
「 違うよ、心底怖かったのだよ。」が正解。
とすると、わたしとfinalvent氏の天皇理解に今のところ相違はない。
「わたしの陰部に異物が挟まっている」と無理矢理にでも感じるべきだ、とうのが私の立場。

天皇というものが限りなく無私の至心として現れるとき、その回りに生じる一種の奇っ怪な善意のファシズムみたいなもの、これをどう解毒していったらよいのか。「戦後日本の論点山本七平の見た日本 (ちくま新書) 高澤秀次」はよく読まれていないように思いますが、同書の「山本がにじり寄っていったのは、丸山真男およびその亜流たちの気がつかなかった、日本的ファシズムの最も根の深い部分だった」というその根ですね。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090411/1239408289#c1239441743

戦中に鼓舞された「国家神道」なんてものは日本近代が列強に伍すべく生み出した疑似宗教だし、その根にある「神道」は近世に宋学をモデルに対抗的に作られた一種の新興宗教ですよ。それ以前の世界においても日本は神道なるものを偽装していた。古事記なんてものも南北朝のころに出てきた忘れられた書籍であり(私は偽書だと思います)、そもそも天武朝の神道などその血を使った祭祀を見てもただの道教です。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090411/1239408289#c1240702502

以上も、ほぼ同感したのでメモさせていただく。
(4/26追記)