松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

言葉足らずにも限度があるは、0418への評価

finalvent氏が、大勢順応以外のたいしたことを言っていない、なにか言いたいことがあるはずなのにそれを極端に言葉足らずのまま放置している
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090423#c1240608772
//
自分の考えを言葉にすることに対して誠実でないのではないでしょうか。時間は十分あったわけで、ブログという表現形態をなめているのかそれなら別にかまいませんが、自分の思想を突き詰めていくことを遠慮しているのではないでしょうかね。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090423#c1240665053(野原)

彼のブログほとんど読んでないので一般論として書いてしまって、他の文章はもっと普通だったので、勇み足だったかもしれません。これはあくまで、http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090418/1240012166(コメント欄含む)について。反植民地主義についてほかに言及した文章があれば日付を教えてください。(>みなさんへ)
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2003/11/119.html この20031119も精一杯書いていて好感が持てる。ここから1mmも進歩できず後退している、という批判であるわけだが、まあ難しい問題だからね。

戦争や国家犯罪に「責任があるのは国家であって自分ではない」というのは、憲法の前文にちゃんと書いてありますよ。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090418/1240012166#c1240701882

そう、こういうふうにみんなが噛み砕いてしゃぶりたおすことができるような文章を書いていただきたい。
(4/26追記)

誤読ではある。

神道というもののもっとも上質で厳粛なものがきちんと」への訂正的補充。
「追記」読んでなかった。

私はその意味ではI11さんとはまったく異なって、人を善意の内に殺しかねない「国の敵」でありたいと思う。人は、その生涯を「中学生が初デートに行って帰ってきた時みたいにはしゃぐ」ように自分の喜悦のために生きるほうがよい。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090411/1239408289

吉本、加藤典洋ふうの私生活優位主義の確認。
本文にもこうある。「そしてその芯の強さに、感銘もしたが、恐怖も感じた。こういうといけないが、これこそが天皇というものの怖さなのだ。」
「 山本七平が生涯をかけて戦ったものが、まだそこにある。単純に忌むべき敵ではないが、これをどうしたらいいのか私には皆目わからない。山本もそう思ったのだろうというのがよくわかる。」
「 違うよ、心底怖かったのだよ。」が正解。
とすると、わたしとfinalvent氏の天皇理解に今のところ相違はない。
「わたしの陰部に異物が挟まっている」と無理矢理にでも感じるべきだ、とうのが私の立場。

天皇というものが限りなく無私の至心として現れるとき、その回りに生じる一種の奇っ怪な善意のファシズムみたいなもの、これをどう解毒していったらよいのか。「戦後日本の論点山本七平の見た日本 (ちくま新書) 高澤秀次」はよく読まれていないように思いますが、同書の「山本がにじり寄っていったのは、丸山真男およびその亜流たちの気がつかなかった、日本的ファシズムの最も根の深い部分だった」というその根ですね。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090411/1239408289#c1239441743

戦中に鼓舞された「国家神道」なんてものは日本近代が列強に伍すべく生み出した疑似宗教だし、その根にある「神道」は近世に宋学をモデルに対抗的に作られた一種の新興宗教ですよ。それ以前の世界においても日本は神道なるものを偽装していた。古事記なんてものも南北朝のころに出てきた忘れられた書籍であり(私は偽書だと思います)、そもそも天武朝の神道などその血を使った祭祀を見てもただの道教です。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090411/1239408289#c1240702502

以上も、ほぼ同感したのでメモさせていただく。
(4/26追記)