松下昇への接近

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八紘一宇について

自民党三原じゅん子参院議員は3月16日、参院予算委員会で「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」と発言した。
「八紘一宇」という言葉は完全に死語になっていると信じられていた。しかしそうでもなかったようなのだ。路上で雑魚キャラに出会ったと思ったら、その敵が突然ラスボスキャラだったみたな驚きが日本中に広がっている。
「八紘一宇」って何なのか、確認しておかなければならない。以下引用。

『八紘一宇の精神 日本精神の発揚』 「国民精神総動員資料」第四輯(1937年11月発行 )
 「八紘」は「八荒」ともいひ、前者は八方の隅、後者は八方の遠い涯といふ字義であって、共に「世界の涯」とか「天の下」とかいふ意味である。「一宇」は「一家」といふ字義で、全体として統一と秩序とを有する親和的共同体といふ意味である。
従って「八紘一宇」とは、皇化にまつろはぬ一切の禍を払ひ、日本は勿論のこと、各国家・各民族をして夫々その処を得、その志を伸さしめ、かくして各国家・各民族は自立自存しつつも、相倚り相扶けて、全体としてあい然たる一家をなし、以て生成発展してやまないといふ意味に外ならない
。それは外国の覇道主義の国家に見られる如く、他国を領有しようとする侵略的思想とは、せう壊(じょう)の差をなすものであって、禍を除き、道を布き、弥々高く益々広く向上発展する我が国の進路を示すと同時に、各国家・各民族をして道義的・平和的世界を実現せしめる創造の道を示したものである。
この道は、実に肇国以来、一系連綿たる天皇の天津日嗣の大御業であり、又我々臣民が一身を捧げて皇運を扶翼し奉る窮極の目標である。
(p102「「皇国史観」という問題」白澤社 長谷川亮一) より

「各国家・各民族をして夫々その処を得、その志を伸さしめ、相倚り相扶けて、全体としてあい然たる一家をなし、以て生成発展してやまない」というととても良いことのようだが、現実に世界に不和は満ちているのだからどのようにしたらそれを解決できるのか、その戦略が不明確だ。
「禍を除き、道を布き、弥々高く益々広く向上発展する我が国」というものが「進路」を示してあげるからそれに従いなさいというのが皇化、皇化の万能はあらかじめ保証されていることになっている、で「皇化にまつろはぬ一切の禍」を殲滅していけば世界平和は得られる、という思想のようだ。冷静に考えれば非常に強いナルシズムでありまあ、失敗するんじゃないかと思われる。で現に失敗した。


「八紘一宇」の危険性は侵略の合理化に使われることだけにあるわけではない。無意味でおめでたいだけのセリフを、ナルシズムでありがたがって失敗したということ。それを反省することができずに、ナルシズムをどこまでも大事にしたがる底抜けの奴隷根性にある。

戦争中の「八紘一宇」の公的な使われ方

http://togetter.com/li/796884
長谷川亮一氏のツイーターから当時の資料へのリンク(近代デジタルライブラリー)と、上記『八紘一宇の精神 日本精神の発揚』の一部をついーとしたものをまとめたもの。
読みにくいのに、3/27現在、3855viewを獲得。長谷川氏の力でしょう。


「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策