松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

アジア主義

 アジア人と仲良くするのは良いことである。であればアジア主義というものが長い間、ほとんどタブーだったというのは、どいういうことだろうか?
それは連帯とは相互の差異を認め合っての連帯でなければならないのに、日本人のいうアジア主義とは日本人をリーダーとする(日本人のための)アジア連帯にすぎないものだったからだ。
また、そのスローガンの元に日本はアジア全域に戦争を拡大した。そのなかで大勢のアジアの人々が死傷し財産を奪われた。二つの理由でアジア主義は悪者になった。


タブーにまでなったのは、やはり米国が絶対に許さないと考えたからではないか?


 とは言っても現在理屈を越えて、中国・韓国さらにその他の国まで観光客をはじめ日本との交流はおびただしい。また他国の国内の矛盾や不正との闘いなどの情報も即時に入ってくる。したがって現在、新しいアジア主義といったものが目指されるのはある意味で当然のこととも言えよう。

しかし日本のインテリは明治以来ずっと欧米の方だけ向いて自己を形成してきた。
アジア人と対等に付き合い、アジアの問題を自分で考えていくという訓練において欠けているところがある。
わたしたちは今後、予めこちらが優位に立つのではない、真の対等の立場に立ったアジア認識を作っていくことができるだろうか?