松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

哲学者は政治を語らない伝統

草稿。

我々はプラトンアリストテレスについて、立派な学者敵服装をした姿でしか想像することができない。実際には彼らは実直な人間であり、他人と同様、友人と共に談笑していた。そして彼らは自分の気を紛らわしたくなった時、『法律』や『政治学』を書いて楽しんだ。彼らの生活のこの部分は、最も哲学的ではなく、最も真剣でない部分であった。最大の哲学的事柄は単純に静かに生活することであった。彼らが政治について書いたのは、あたかも精神病院のための規則を作ろうとするかのようであった。彼らが重大事を語るような外観を与えたとしてもそれは彼らが語りかける狂人が、自分を王や皇帝であるとみなしている、ということを彼らが知っていたからである。彼らはそうした狂気をなるべく害の少ないものにするために、狂人たちの原理の中に入り込んだのである。
パスカル・パンセ331番

この文章を引用し、アレントは、ホッブス以外のすべての哲学者は「政治的なものの領域を重大に考えるべきではない」と考えていたと言う。*1


つまり西欧の知的伝統は、究極の上から目線なんだ、といった話である。でキリスト教が入ってくると、もっと上、神と天使のことしか論じられなくなるわけだ。


大日本帝国の元兵士たちは基本、強盗であり強姦魔であり殺人鬼である」http://togetter.com/li/722895 という、ツイッターである方のこの発言にからんでみた。
大東亜戦争」の数百万の兵士それぞれが倫理的に悪なのか?中国人や他のアジア人は被侵略者なので、彼らではなく、日本兵が悪なのだ、というのは正しいような気もする・・・


プラトンアリストテレス大東亜戦争は関係ないように思えるが、そうではないと書きたいのだが、今はちょっとエネルギーが足りない。とりあえずメモとして。

批判的に思考すること、すなわち、偏見を通り抜け、吟味されていない意見や信念を通り抜けて思想の道を切り開くことは、哲学の古来の関心事である。
カントは、そういったソクラテスの流儀で事を進め、一切の反対者を彼らの無知を最も明瞭に証明することによって沈黙させたいとはっきり語った。
ソクラテスは何も教えなかった。p51

アーレント『カント政治哲学の講義』からの不正確な引用。


現在、ツイッターでは批判があふれている。ソクラテスなみに鋭い論理展開を見ることも珍しくない。
しかし批判でない自分の思想に対する厳しさという点が全く違う。ソクラテスは批判をしただけであり、勇気や正義や敬虔などが何であるか知っている訳ではない、ことについて
常に自覚的だった。ところが現在の批判者は、批判をするだけで自分が「正しい思想」を手に入れたかのような錯覚を平気でしてしまう。
これは致命的なことだ。

*1:p27 『カント政治哲学の講義』