松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

 沈んでいる死者もあり、浮かんでいる死者もいた

 筑紫峠も、辰平は忘れることができず、フーコンという言葉を聞けば思い出すのであった。サモウの野戦病院というのか、患者収容所というのか、あれもひどいものであった。患者が多くて、とてもあの瀬降り病棟に全部を収容しきれず、土の上に、何人もの患者が横たわっていた。雨が降ると、そこでそのまま打たれて、ずぶ濡れに濡れていた。そのような患者が次々に死んだ。死体は、共同の死体壕に投げ込まれた。死体壕に雨水が流入してできたプールに、沈んでいる死者もあり、浮かんでいる死者もいた。禿鷲が降下して死者の肉を爪にかけて、飛び去った。

 あの死体壕に投下されるまで、死者は泥土に顔を突っ込んでいた。あるいは、仰向けになって、眼と口をあけていた。

 あれは確かにあったことであり、実際に見たことなのだ。辰平にはしかし、幻のようにも思えるのであった。あんなに多くの人が、あんな姿で死んでいる光景を、俺は本当に見たのか。もしかしたら、幻想ではないのか。そんな気がするのである。死者の光景だけではない。あの戦場のすべてが夢の中の光景のように思えるのであった。

(p12-13『フーコン戦記』isbn:4167291037

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070414#p4

 これは、古山高麗雄という小説家が書いた、日本兵の病死人が哀れな様子で放置されている情景の描写です(自伝的小説)。場所は米軍が、初めて「従軍慰安婦comfort girl」というものを発見し、調書を作ったミートキーナの近く(中国・ビルマ国境地帯)です。砲弾が雨あられと降り注ぐ米軍の攻撃をなんとかかいくぐり生き延びて捕虜になったのが表の「慰安婦」たちです。その少し前、ちょっとした病気になった兵士は普段と違い医者の手当ても受けられないまま、上記のように無残な死骸をさらすこともあったわけです。


 なぜ、慰安婦ではない普通の兵士の話をしていると、「慰安婦はただの娼婦」とか言っている人は、おそらく愛国者を自認しているのでしょうが、上記のような「普通の兵士」の無残さに心を及ぼしたことがあるのでしょうか。もしあれば、そうした兵士たちにつかの間の慰安を与えた女性たちに対して、感謝こそすれ根拠もなく「嘘つき」と決めつけるなどということができようはずもありません。


最近「大日本帝国の元兵士たちは基本、強盗であり強姦魔であり殺人鬼であるという視点を忘れないようにしたい。」という発言を批判しようとした。*1
これは一見正しいかに見える発言にすぎない、と私は思う。


慰安婦より皇軍兵士の立場で物事を考えたいと、言うのなら、一応彼らの言い分を認めそうすることにしても良いんじゃないのか。
皇軍兵士たちは、「土の上に、何人もの患者が横たわっていた。雨が降ると、そこでそのまま打たれて、ずぶ濡れに濡れて」そのまま死んでいった。
皇軍兵士たちに、皇軍兵士たちの死骸に寄り添おうとすることは、すなわち東條たち指導部に対する激しい怨念に繋がります。怨念はまだ理論化されていないので、右にも左にも流れる可能性があります。それをあえて拒否することは右を喜ばせるだけだと思う。