松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

25年も経つと、どんな大事件でも

直接の当事者以外記憶が薄れてくる。
その時を待っていた醜い怪獣がゆっくりと姿を表す、それが「なかった派」だ。
20年ほど経つまでは、南京大虐殺従軍慰安婦も、(本来はそれをないものだと思いたい加害者側の人たちも)あえて、「なかった」などとは言い出さない。なかったと発言しようとしても、あったという実感は何よりも自分のうちに確かであるわけだし、仮に言い出してもたちまち関係者たちに反撃され、自分の立場を悪くしてしまう。だからこの時期はひたすら黙っていて、関係者にも陰に陽に隠蔽を強制するこれが効果的な態度だ。

しかし、25年も経って記憶が薄れてくると、チャンスである。それまでに確認しておいた相手側の弱点を、上手に展開するチャンスである。
事件直後に柴玲ら中心人物が熱心に語った「戒厳部隊が広場を血で洗った」は嘘であった!、がポイントである、天安門事件の場合は。実際嘘であったわけだが、広場のすぐ外側でたくさんの流血があった以上、それは意味のない情報だった。「戒厳部隊が広場を血で洗った」は嘘を強調することは「すぐ外側でたくさんの流血があった」ことを直ちに思い出させてしまうので、かえってまずいやり口だった。25年間は。
しかしこれからは違う。日本人はすでに天安門事件をごくわずかしか覚えていない。だから「戒厳部隊が広場を血で洗ったは嘘であった!」を大々的に強調すれば、それは大きな効果を上げるだろう。

香港では今はまだその時期ではない。あと25年も経てば香港でもそうしたキャンペーンが始まるだろう。

香港での親北京派

 しかし今年は、論議を呼ぶ新顔団体も登場した。親北京グループの「愛港之声(the Voice of Loving Hong Kong)」はビクトリア公園の外で反追悼集会を初めて実施した。同グループのPatrick Ko(高達斌)会長は、同グループはキャンドルライト追悼集会を主催した香港支連会が天安門事件の「完全な真相」を知らないと批判するビデオを上映するつもりだと述べた。


 Ko会長は「学生指導者たちは死者の数を誇張した可能性がある」と述べ、「北京中央は社会秩序を回復し、治安を維持するため極端な行動を不可避的にとらざるを得なかった」と語った。
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304210404579604983225234114?mod=trending_now_1

「香港では今はまだその時期ではない」なんて書いたが、さっそく間違っていたことが分かった!

シモツカレうざい

いくらコメントしても一切読んでないから。「緑の党支持者でなと認める」なら、誰かを通して間接的に伝達してください。