松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

comfort girl と「いあん婦」

私は英語ができない、というか習ったことはあるので少しは読めるが、ほとんど機会もなくついおっくうになってしまう。
で、ネオンくんから英語文献を得意げに参照されたとき、つい先延ばしになって、なかなか読み始められなかった。


原文をもう一度探すとここにもあるようだ。
http://www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html


最初の部分を、私の偏見の入った解説を織り込みながら、紹介してみよう。


で、1944年8月、ビルマの最果ての地、ミートキーナで激戦があった。
若い米兵の気持ちとしては、我々がやったこととはいいながらなんとも無残なこの死体の山だ、と嘆息をつきながら、それでも敗残兵はいるから緊張は緩めずに、最初の敵陣探訪を行うと、なんともめずらしい貴重な生物の標本が次々と見つかった、生きたままで。それは他でもない"comfort girls"と呼ばれるものだ。


the interrogation of twenty Korean "comfort girls"
ある兵士は20名の朝鮮人"comfort girls"を尋問することになる。

their understanding of the military situation、
というフレーズから、 
全滅に近い激戦を覚悟しなければならない、軍事的非常事態にこのような珍しい生き物が存在することがいかなる理解(合意)の下に可能になったのかという疑問を持ち、それに回答していく、といった気分を感じ取ることができる。


A "comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower" attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers.
意外な生き物あるいは「いあん婦」とは言ってもみても、まあ要するに娼婦だ。兵士の便益の為に日本軍に所属しているところの従軍娼婦だ。


The word "comfort girl" is peculiar to the Japanese.
日本人は「いあん婦」という変わった言葉で、彼女たちを呼んでいる。


Other reports show the "comfort girls" have been found wherever it was necessary for the Japanese Army to fight.
広い太平洋の各地で日本軍は食料と弾薬がないに等しい状況のなかでなお「闘い」を持続していたわけだが、そんな彼らが戦うためにどこでも必要としたもの、それが「いあん婦」だ(と他の報告も言っている)。


This report however deals only with the Korean "comfort girls" recruited by the Japanese and attached to their Army in Burma. The Japanese are reported to have shipped some 703 of these girls to Burma in 1942.
日本軍が募集従軍させたビルマでのいあん婦だけでも、(ある日本人の報告によれば)、1942年に703人もの朝鮮人少女をビルマに輸送したとある。


この文章を翻訳することの困難は実は、「慰安婦は売春婦だ」という文にネトウヨが込める特殊な(peculiar to)含意が、日本人以外には理解できないにも関わらず、日本語においては無視できないほど広がってはいる。だがそれをどう脱構築しながら翻訳するかについては試行錯誤するしかないという状況にある。


そこで、ここまでをネオンくんに提示して、意見を聞いてみよう。
ネオンくんからは今のところ、応答がない。