死者の季節
8月の6日から15日までは、追悼の季節である。地獄の釜の蓋が開き、死者たちの呻き(うめき)が日本中を覆い尽くす。死者たちとはもちろん、広島、長崎をはじめ日本全国すべての都市を襲った空襲で無残に焼け死んでいった市民たちのことである。しかし、同時期に名も知らない南太平洋の熱帯の島で飢えに晒されながら、なお降伏を許されず空しく「闘い」続けた兵士たちもまた百万人規模でいたわけだ。彼らたちの恨みも忘れてはならない。そして、白ブタ、黒ブタと言って、敵兵(主にオーストラリア兵)と現地人の死体を食べることもあった。フィリピンやインドネシア、ビルマ、中国の戦後の歴史からも取り残されてしまう少数民族たち、彼らに対しても、多少複雑な関係はあっても日本軍は大変な被害を与えたことを忘れてはならない。前線で最も汚れ役をやらされてしまった、台湾の高砂族や朝鮮の人々の無言の呻きも。このように〈呻き〉の偏差と連鎖は限りなく続く。
そのような圧倒的な不幸の累積を、切断し、平和をもたらした物は、ヒロヒト天皇の聖断であった。
わたしたちは聖断に感謝するだろうか?8.15が毎年一度だけ、わたしたちに突きつけにくるのは、この問いである。
何が聖断だよ
「何が聖断だよ、バーカ。戦争を起こしておいて聖断なんて理屈がとおると思ってるのかよ。」
聖断以外の何か、日本社会のなかの何かが、戦争を終わらせることができたのですか?何もなかった以上、すべての市民も、ヒロヒトと同じくらいバーカであったことになりますね。
ヒロヒトをバーカにすることで、自分がバーカ以外のものになったつもりになれるという勘違いが、現在のひどい状況をもたらしたのだと、考える。
主体の不在
>聖断以外の何か、日本社会のなかの何かが、戦争を終わらせることができたのですか?
まあ「なかった」でしょうね。だからといってあの行為は裕仁の保身に過ぎず「聖断」なんて褒める行為では全くありません。
褒めていません。
ヒロヒトに「遅すぎた聖断」の責任を問うべきであることは、当然です。
戦後はそれから始めるべきでした。
「ヒロヒトをバーカにしない奴は、バーカだ」というのは、シモツカレ氏の脳が1bitであることを示す。1bit脳が、天皇問題のような大問題に絡むのは有害無益。
カギ括弧もつけないで「終戦の聖断」と書いた「裕仁擁護」という「右翼的行為」「歴史修正主義」がごまかせるとでも思ってるんでしょうか?(シモツカレ発言)
「終戦の聖断」と書くときには、カギ括弧を付けるべきだというのが、シモツカレの主張。それをなぜ私に言ってくるのか。私の表現スタイルについて、あなたの規範を受け入れる意志はない。
そもそも、正解が先にあるのなら、何のために、書き、読んでいるのだろう。私の文章が不快なら読まないようにしていただきたい。
批判は歓迎すべきだが、貴方のは私という他者にまで届いておらず批判になっていない。シモツカレ氏のなかで完結している。時間の無駄。id:bogus-simotukare へ
特に、バトラー云々はあなたに読ませるために書いたのではない。どんだけナルシスト。