松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

儒教は時代遅れではない。


「新儒家哲学について--熊十力の哲学」島田虔次著、同胞舎という本を借りて読んだ。
皆がほとんど興味をもたない儒教(それも朱子や仁斎に比べてもっとマイナーな20世紀中国の儒者)に、特段の興味を持っているわけでもない。ただ、自分の考える根拠が、西欧由来の自由・平等やキリスト教ギリシャ哲学かととりあえずはそれで良いとして、突き詰めると違うような気もする。例えば戦後日本はなぜ、インテリが論外と考える自由民主党ネトウヨなどの勢力がいまだにはびこっているのだろう。その事実を知りながら、自己の西洋由来の普遍性を素直に信じているのは、「おめでたい」のではないか。

日本人は日本の伝統をうまく肯定できない。戦前に「日本の伝統」のすべてを「天皇制」がブラックホールのように吸い込んでしまった、それを開放できていないのだ。
日本の儒教とかの勉強を多少してみると、日本の伝統は中国(東アジア)の伝統とさほど大きな違いはないことが分かった。

儒教の伝統のうち可能性のある良き半面を発掘できれば、それは取りも直さず、日本の伝統の良き半面でもありうる、そう考えて良いように思う。

そうした問題意識で島田虔次(1917年-2000年)のマイナーな本を読んでみたわけだ。
儒教といえば否定されるべき過去の封建的遺物にすぎない、そのような圧倒的偏見*1のなかで、それをなんとかしたいとする苦闘の一つとして島田氏はこの本を書かれた(そういう風に私は読んだ)。

さて、新儒家哲学を通して、数千年の儒家の伝統が現代になお、可能性を持っていることを確認していきたいんだ、と島田氏は語る。

おことわりしておきたいのは、私個人の儒教に対する感じ(反射的感情)というものであります。と申しますのは、私は正直申しまして、儒教というものをそれほど反動なもの、封建的なもの、つまりアンシァン・レジームとともに生命を終ってしまう筈のもの、という風に感じたことは、いまだかつてありません。私は大塩中斎、中江兆民幸徳秋水堺利彦三宅雪嶺など、こういう人のものを好んで読んだ時期がありました。
大塩のようないわばプロの儒学者儒教にたいして肯定的であったのは当然であるが、ともかく彼は儒教のプロでありながら、というよりもプロであるが故に、時の権力に公然と反抗し武装蜂起したのであります。中国にかかる例があるか否
か、私は知りません(もちろん辛亥革命期の民族主義的革命主義者のばあいは別)。


他の諸氏もみな儒教にたいして大変に好意的であり、むしろ賛美者ですらあったのであります。幸徳秋水中江兆民の愛弟子で、黎明期の中国の社会主義に対しても深いかかわりを持った人物でありますが、ある雑誌のアンケート、貴方を社会主義に導いた書物をあげて下さい、というようなアンケートですが、それに対してまっさきに『孟子』を挙げている。また別のアンケートに対して、いちばん好きなものは儒教、いちばん嫌いなものはキリスト教だと答えております。
それから『堺利彦伝』という本がある。何だかひとごとのような標題ですが、実は自分で書いた、既に社会主義者となり投獄をも経験したのちに書いた本、つまり自伝で、おもしろい本ですが、堺氏のいうには、儒教には二つの面がある、ひとつは「身を立てる」、つまり立身出世主義、これはたしかに儒教の一つの側面である。自分は立身出世の面では苦い思いをし、挫折を味わった。しかし儒教には同時に「道を行う」という一面がある(立身行道、孝経)。自分はこれからも、道を行うという儒教の精神で行きたい、といっている。此が同書の結論のごときもので、以後社会主義者としての生涯がはじまるのですが、その前で書物は終っている。この本の他の箇所でも、二七歳のとき『論語』を読みかえしてひどく感激したということを長々と書いております。どうも日本の社会主義者は、少なくとも初期のそれは、儒教にたいして非常な親近感をもっていたようであります。社会主義者以外でも、中江兆民三宅雪嶺は、これはもう申しあげるまでもありません。

中斎、大塩平八郎(1793年-1837年)から1871年(明治4年)生まれの幸徳、堺までの4人、維新後も日清戦争頃までは儒教的教養を成長過程の中で自然に身につけることができたのだろう。島田の世代になるともはや、島田自身はたまたまこれらの先人の本に興味を持ったので、教養に接近できたが、普通の人にはそうした機会はない、というそういう時代になったのだろう。

 私は、孟子王陽明、黄宗翁*2などの中国の書物はいま別としても、こういう人のものを割合に好んで読みましたせいか儒教というと封建的で反動的なものだという感じが、以前も今もほとんどありません。そのへんは、今の若い人はもとより、私よりも少しあとのジェネレーションの方々とも多少違うかもしれない。

儒教というと封建的で反動的なものだという偏見に対し、島田は真正面から反論しようとはしていない。おそらくそれは難しいことだからだ。議論というのは必ず何らかの「常識」の上で成立するが、その常識自身が日本のインテリにおいては西欧基準のものであるのだ。したがって島田はそうではない知のあり方として、4人の日本人の名前を列挙しただけだった。

 もっとも日本 -- 社会科学の飛躍的に進歩した戦後の、現代の日本のことですが−でも儒教のなかから「進歩的」なものが出てくることは有りえない、という思いこみはあるらしく、例の大塩の乱、熱烈な陽明学大塩平八郎(中斎)が飢饉に際して為政者の失政を糾弾して武装蜂起をおこした事件に対して、あれは大塩の学問、儒学とか陽明学とかいう学問、とはぜんぜん関係がない、ひとえに大塩の激情的性格の致すところだ、という説明を読んだことがありますし、思想家としての明の李靉(李卓吾)が紹介された当初も、結局彼はただ観念の世界に游泳したにすぎない、とか、庵をかまえて読書生活する寄生的生活者にすぎなかった、として極力その歴史的意義を割引こうとする態度が、一時期、進歩的歴史学者のあいだで顕著でありました。

現在でも「儒教というと封建的で反動的なものだという偏見」は健在である。そのことを大塩平八郎(中斎)、李靉(李卓吾)に即して語っている。

21世紀においては、偏見はむしろ、頭からの無視、無知として現象しているようだ。大学でも、中国思想史、日本思想史関係の学者は西欧哲学に比しても著しく少ない。したがって、中国思想といえば孔子老荘であり、それ以外に興味を持つ人は基本的にはいない。

 たった今も申しましたように私は、中国という国は非常に大きな哲学的思想的な伝統を持つ国であると、つねづね思っております。私がこんなことを申しますのは、儒教には哲学というほどのものはない、あるのはせいぜい処世哲学とでもいうようなものだ、とか、論理ではなくて「観念の聯絡とでもいうべき」ものが中国人の思考法であり、朱子のごとき代表的思想家の哲学といえども、「互に関係のない、あるいはその間にくいちがいのある、いろいろの思想をそのままにつなぎあわせることによって成りたったもの」にすぎない、とかいう批評がございます、それを意識して言っているのであります。


こういう考え方が今日もなおそのままの形で生きているかどうか知りませんが、しかしそれほど露骨な形ではないにしても、似たような見解はわが国の知識人の間には、案外、根づよく存在しているようにも思える。儒教思想の哲学思想としての価値を否定的に見ようとするこのような考え方は明治初期、日本に西洋哲学が移入せられた当初から存在したのであるらしく、三宅雪嶺王陽明』(一八九三年)はその「儒教」の章において極力その非を論じている。儒教蔑視はもはや日本のインテリの国民的常識を形成しているといってよいかも知れない、とすら思えます。


中国が哲学的思想的伝統の顕著な国であるということは、例えば日本の伝統は何といっても情緒的であるのとくらべてみればはっきりします。いわゆる諸子百家の時代はいうまでもないとして、隋唐における仏教哲学、宋明の理学、どれをとってみても、骨組のがっしりとした、きわめて組織だった、しかも深い思弁が展開されています。

中国という国は非常に大きな哲学的思想的伝統を持つ国である、しかし例えばヘーゲルはそれを全否定する有名な断定を残している。日本人は何時までたっても、そうした全否定を乗り越えられない。明治以降のナショナリスティクな「中国に学ぶ物はもはやない」思潮もそれに同調しているわけである。

 こういうわけでありましたから私は、解放後中国の儒教全面否定の風潮 -- それは五四の流れを承けたものであることを当人たちは明確に意識していた -- に対して非常な違和感をもっていたのであります。そもそもあれほどの大文明を創造した民族の伝統の核心をなしたものが、単にマイナス価値のものにしかすぎなかったというのは、どう考えても常識に反します。

日本だけではない。肝心の中国でも、五四運動(1919年)以来、そしてなにより「解放後」(1949年)、儒教全面否定の風潮はずっと続いた。


戦後日本で、儒教が論じられなかったわけではない。最も影響を与えた本は丸山眞男の「日本政治思想史研究」だ。これは、「朱子学的思惟様式を荻生徂徠が解体していった」とする図式を定着させた。学会は以後この図式の中で動いている。例えば、徂徠を仁斎に変えてみたりしても、図式が大きく揺らぐわけではない。「朱子学的あるいは伝統的儒教というと封建的で反動的なものだという偏見」は転倒されず、かえって強化された。


でまあ、儒教にそんなに素晴らしい要素があるのか、という話だが、ないこともないと私は思う。

最近の動き

以下は書きかけたが出来が悪い。訂正していく。
念のために書いておくと最近は必ずしもそうではない。*3
また「中国哲学の本質は「天人合一」観であり、人類と大自然が一体であると信奉するが、」等等を強調する学者なども出てきている。しかしその本意は儒教の復活というより、大中華、大漢族の民族主義を煽ろうとするものだ(みたいに)徐友漁氏は言っているようだ。*4

*1:日本のインテリは明治初年以来「全盤西化」、思考の基準を西欧に求めるということを自明化してきた

*2:黄宗羲1610一1695年 のこと

*3:念のために「儒教 復活」で検索してみると、「2006年5月15日 – 中国で儒教が復活しつつあります。」「2011年11月9日 – 中国のテレビで論語の講義が人気を集めている。」等がヒットする。

*4:http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/abb90ce124c8396d6c87d4f12334281f