松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ウイグル人は漢人に抑圧されているのか?

世界ウイグル会議(WUC、本部:ミュンヘン)は、5月14日〜17日に第4回世界ウイグル会議代表者大会を、東京で開催した。

でその際、一行を日本側主催者が靖国神社に昇殿参拝させた事について、多方面から批判が行われている。


中国現代史研究者の水谷尚子氏は端的にこう言っている。

世界ウイグル会議一行の靖国昇殿参拝と、それを企画した日本人右翼を糾弾する。その行為は、戦後「二度と戦争はごめんだ」と、日本の平和維持に努力してきた人々に対する侮蔑である。昇殿参拝したウイグル人の多くは、己が何をしたのかさえ理解してない。
https://twitter.com/#!/NAOKO_MIZUTANI_/status/201906413398798337

確かに、日本の残念系+右翼系に利用され、骨までしゃぶり尽くされ、その深刻な「副作用」もよめない団体に、未来はないだろう。
https://twitter.com/#!/NAOKO_MIZUTANI_/status/203804482394521600

この意見に賛成だ。


さて、靖国批判派はおおむね当然この行為を批判するわけですが、「東トルキスタン独立運動になんの手も貸してこなかったどころか関心すらないくせに。*1
ある行為だけを叩こうとする行為を批判する人もいます。たくさんの死者を出している現在形の大きな問題であるウイグル問題をどう捉えているのか、それに答えなければ*2いけないという問題意識なしに、自分に興味がある点だけを見ても誤りに近づく可能性もあるかもしれません。


でこのような情況のなかで、「誰かの妄想・はてな版」さんは5/15付けで、「新疆ウイグル自治区東トルキスタン)に関する若干の経緯」という文章を書いておられます。
世界ウイグル会議の日本語のHPの、東トルキスタン新疆ウイグル自治区)の歴史などを読みながら、考えてみよう、という趣旨で、その趣旨は歓迎すべきものだ。*3

総人口の4割近い漢民族居住者を「違法居住」と決め付ける態度はさすがにどうかと思います。中国政府から迫害されているウイグル人が逆に新疆ウイグル自治区内の漢民族を迫害する懸念をはらむことになりますし、実際にそういった対立を煽る効果を持ちかねません。
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120515/1337092299

自分の言説がどのような根拠の上に立っているかに無自覚な言説と思えた。ウイグル自治区ウイグル人(他の中央アジア系諸民族)のもの、という前提から出発すれば漢民族居住者は、植民者と同じであり不当な存在である、それを違法という言葉で表したまでだろう。ウイグル人(たち)が抑圧されているという関係が存在する場合は、ウイグル人(たち)が抑圧に甘んじる以外に、漢民族との対立を避ける道はない。「ウイグル人漢民族を迫害する懸念」にだけ注目するのは、シオニストと同じような現状に対する歪んだ物の見方である。


矢吹晋大先生の下記サイトに「新疆自治区における漢族移民の増加」という表がある。http://www.21ccs.jp/china_watching/DirectorsWatching_YABUKI/Directors_watching_62.html

それによると、1953年新疆自治区における漢族は6.9%、2000年には40.6%になっている。パレスチナユダヤ人の割合も建国以前はそんなものだったはずだが建国によって急増した。新疆自治区は共産中国に統合される事により、自治という建前はじきにないがしろにされ、漢民族が実質的支配権を独占するようになった。
ナチスに迫害されたユダヤ人がイスラエルではパレスチナ人を迫害したように。」という註を付けているのだが、トンチンカン??である。植民者ユダヤ人の立場に立っているのは漢族である。

漢民族には少数民族を蔑視する傾向がありながら、ウイグル人には新疆を基礎とした排外主義的な傾向がある、それが両者の対立を悪化させているように思います。
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120515#20120515f5

非対称的抑圧関係に置かれたウイグル人が何らの「独立」を指向するのは当然であり、それに「排外主義的な傾向」を見出すのは、現在の秩序至上主義に陥っている。


さて私もウイグルに関する知識は実はほとんどないので、ブックマークで紹介されていた、矢吹晋氏の文章を再読し、簡単にまとめてみよう。


http://www.21ccs.jp/china_watching/DirectorsWatching_YABUKI/Directors_watching_62.html
この文章は、王力雄著『私の西域、君の東トルキスタン』(集広舎、2011年1月)への書評。私もこの本は読んだ。


この矢吹氏のサイトは専門家が自分のためにまとめてみたメモという感じで、質量ともに高い(なかなか読み通すのが大変だ)。
ウイグル人が本当にどうしようもないほど抑圧されているのかどうか、といった問題意識で簡単に抜書してみよう。

中国共産党支配下で開発が進められた結果、どのような変化がもたらされたかを知るうえで恰好の論文は、管見の限りだが、イリハム・トフティ*4の書いた「新疆の経済発展と民族関係についての若干の考察」ではないかと思われる。


 トフティの分析から、なぜ「世界が注目する中国の高度成長」から「新疆の少数民族が取り残されたのか」を検討した箇所を紹介しよう。新疆の少数民族にとって現金収入を得る道は「打工」(臨時工、あるいは出稼ぎなど単純な肉体労働)しかない。というのは、それ以外の職を得るには、次のような障害があるからだ。


第1に、悪名高い戸籍制度という差別がある。第2に、学歴あるいは知識水準に由来する制約がある。教育程度の低いウィグル族「農民工」には、せいぜいサービス業、建築労働者、小商業のような産業しか開かれていない。報酬の高い産業や部門への就職は厳しい。仮にある程度の教育水準が満たされたとしても、軍隊、警察、財政・銀行機関、石油・化学工業などは、少数民族の受入れを制限しており、党組織の役人になる道もまた閉ざされている。トラック運転手、清掃工、綿摘み労働者などについていえば、現地ではなく、「内地の農村」で募集が行われる。石油・化学工業など資本集約型産業でも、ほとんど現地の少数民族労働力は用いられることはない。この結果、少数民族は所得向上の道を閉ざされている。「農村基金会」「信用合作社」のような農村金融組織も活発ではなく、農民の預金は都市に集まり、農民には借入れの道も狭い。「伝統的生産と生活は、少額の貸借に依拠するやり方だが、それさえも農民には無縁だ」。こうして新疆少数民族の農民にとっては、資本の原始的蓄積は、まるで見通しがつかず、絶望的な状況に置かれている。
(略)


 ――農民の租税公課負担は、きわめて重い。これらの負担によって押しつぶされそうだ。なぜか。通常は農村工作の経験が皆無で、当地の言語・文化をまるで知らない者が村のナンバーワンの役人(党書記)に任命される。他方、農民の側にも知識を欠いており、村政府と地方ボスの結託により、ますます腐敗した政治が行われる。中央政府も地方政府(自治区レベル)も、「民族訪問団、慰問団、工作団」を民族地区に派遣して、党中央や国務院がいかに少数民族の生活に関心を寄せているか、漢族人民が「兄弟の誼みの感情」を抱いているかを表明し、民族団結や愛国主義の教育を行う。これらも受入れ側の負担となる。しかし政府を批判する言動は懲罰の対象になるので、少数民族の同報は、意見を述べず、批判も控える。「民族地域自治法」が存在するとはいえ、中央政府の高度に集権的な体制と、「地域自治」の思想とは衝突するので、法的にも保証されない。新疆自治区では「民族地域自治法」に基づく「自治条例」は、いまだにできていない。自治の権限は、ほとんどが中央政府自治区政府に集中しており、法律の規定した自治権は実現していない。
http://www.21ccs.jp/china_watching/DirectorsWatching_YABUKI/Directors_watching_62.html

 「7号通達(1996年)」は漢族の指導幹部に切り札を与えた。会議でも漢族ショービニズムを主張し、新聞も国の指導者も「黄帝炎帝の子孫」と言い始めた。「この国は民族主義国家に変わり」、「この党は民族主義を代表する方向」に変わった。ここで王力雄が確認する。政府が漢族の民族意識を団結材料に使ったことは、他の民族にも連鎖反応したのか、と。ムフタルは、これを肯定し、「だからこそウィグルの宗教者は民族主義の側に立った」(257ページ)。私(矢吹)は、資本主義の密輸入により共産主義イデオロギーが否定されると、もはや民族主義を煽る以外には「国民を統合する手段」が失われるので、「狭い民族主義が横行し、摩擦を生む」と予測して、江沢民流の反日政策を批判してきたが、これはウィグル人に対してもウィグル民族主義を刺激したわけだ。(同)

 教育分野では「2言語教育」を始め、ウィグル語で教育してきた小学校もウィグル語を除くすべての科目を漢語で教えるように変わった。教員は「競争就業」制度の下で、漢語の不得手な教師が毎年切り捨てられ、失業している。大勢のウィグル人教師は「民考民」だから、首になる可能性が高く、2言語教育は「同化政策」であり、民族問題と考えている。これは1997年ごろから始まったが、2003〜04年あたりから試行制度ではなく、本格的に導入され、「民族教育はすでに滅亡の危機」にある。(同)

今年3月に新学期が始まった際、青海省甘粛省チベット人学校や民族学校の子供たちは、チベット語による専門科目の教材が中国語のテキストに突然変わったことを知った。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51742605.html

原一博さんのブログでは、この3月からチベット語の教科書が使われなくなったニュースが報じられた*5が、ウィグルではそれよりさらに前から文化的ジェノサイドが行われていたようだ。


ウイグル人が逆に漢民族を迫害する懸念」なんてことを口にする人は、単純に勉強不足なのだろう、と思う。*6

*1:https://twitter.com/#!/kdxn/status/203309844491550720

*2:応えなければ

*3:どのHPを参照しようとも

*4:「イリハム・トフティ(IlhamTohti,伊力哈木・土赫提) は、ウィグル族、38歳、経済学修士である。事件までは中央民族大学経済学院で「国際貿易理論と実務」や「新疆の社会経済」などを講義していた。東北師範大学を経て中央民族大学を卒業。その後韓国中央大学パキスタン国家発展研究院(PIDE)などで研鑽を深めた。かつて北京市「師紱先進個人」(優れた教師に与えられる),北京市「愛国立功標兵」,「中央民族大学優秀(共青)団幹部」などの表彰を受けたことがある優秀なウィグル族研究者だ。公開発表した論文は17篇だが、これらには「国家社会科学基金プロジェクト」や「国家民族委員会主宰の部级科研プロジェクト」のレベルに合格したものが含まれ、うち2篇の論文は北京市と新疆自治区の哲学社会科学論文2等賞に入選している。ここで紹介したい講演は、2005年12月9日に民族大学で行われた。新疆自治区成立50年を祝う記念イベントの一つとして行われたものであろう。ただし、7月5日事件以後、彼自身の作ったサイト「ウィグル・オン・ライン」(http://www.uighurbiz.net/)がブロックされ中国国内では閲覧できない。トフティ自身も逮捕され、釈放を要求する署名運動がこのサイトで行われている。」矢吹サイトより

*5:オーセルさんの文章の翻訳

*6:中国式「共産主義」や毛沢東主義に郷愁を持つのは別に悪いことではないと、私は思う。ただ何が抑圧であり何がそうでないか、については共産主義者であってもごまかしてはいけないだろう。非抑圧者の立場から見る、考えるという前提を共有したい。