莫言の長編小説『酒国』資料
莫言の長編小説『酒国』(1992年刊行)、1996年岩波書店 藤井省三訳 を読んだ。
問題作なので、「訳者解説」の一部をコピペさせてもらおう。
同じ岩波の本でもあの丸川によるひどい「解説」*1とは違ってまっとうなものだ。
迷宮の内に踏みとどまってその不条理を可視的なるものとして作品化するとき、莫言の魔術的リアリズムがいよいよ精彩を放つ。莫言自身は私が昨秋北京で行なったインタビューに対し次のように答えている。
藤井) 魯迅は「狂人日記」(一九一八)て食人をテーマとすることにより、儒教を中心とする伝統社会を批判いたしました。「酒国」で食人を中心のひとつに据えたのは、どのような社会批判を考えてのことでしょうか。
莫言) かつて魯迅か提出した社会的問題は、現在の新しい社会制度のもとでも完全には解決されていないからなのです。腐敗した封建主義の風気は資本主義のもとでのみ生き残るというわけではないようなのです。子供を食べるというのはもちろん私のフィクションであり、作品の中でも明確にそれが事実であるとは書いておりません。しかし漢方医学の一部の腐敗した処方には「紫河車」などとと称する胎盤の乾燥させたものを使うことがあります。中国では強精剤としてこうした胎や、はなはだしきは流産した胎児を食用にしてきたのです。現在、権力に飽かしてこのような蛮行を行う者かいるということを、私は友人の医者から聞いております。
藤井)そのような腐敗現象が生じたのは、七十年代末以来の改革・開放政策とは関係があるのでしょうか。
莫言) 特に関係はないでしょう。社会体制によるものというよりも、魯迅の時代よりも遥か以前から国民の体質の中に頑固に生き続けている腐敗なのです。それが改革・開放による自由化で表面化してきたということは言えるかもしれません。
(「連続インタビュー? 莫言 抑圧の下の魔術的現実」同
上『すばる』1996年5月号所収)莫言自身は慎重に自らの役割を「ジャック」と認めることを避け、食人の腐敗現象と改革・開放政策との関係を否定している。しかし『酒国』においては酒国市の美酒と食人料理の開発が改革・開放の成果として描かれているのである。
酒造りが盛んなある都市で嬰児料理が行われているらしいという疑惑で特捜検事の丁鈎児(ジャック)が潜入捜査する、というのがこの小説の発端です。
魯迅の「狂人日記」の社会批判をどう継承する意図において書かれたのか、と藤井はストレートに聞く。しかし明確な答えは返ってこない。
不正は正されるべきという常識に沿って最後にカタルシスを与えるのが探偵小説である。しかしこの小説はカタルシスを与えない。社会がふせいであるなら作者もそれに同致しなければヒドい目に合う。あいたくなければ批判を批判として書くことはできない。
逆説をそのまま提示したのがこの小説だろう。