松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

丁子霖と蒋捷連

詩「十七歳へ」には数行の前書きと、それより長い訳注がついている。
劉暁波受賞の知らせを聞いても、このブログを訪問する人はいっこうに増えそうもないが、まあそれも劉暁波とはどんな人か?08憲章とは何か?天安門事件とは何か? が圧倒的に知られていないから、でもある。
そこで前書きと、訳注も転記しておきます。

前書き)君は親の制止にさからい、家のトイレの小さな窓から飛びだした。旗をさしあげたまま倒れたときは、まだ十七歳(訳注1)だった。ところがぼくは生きのびて、もう三十六歳だ。亡き君の霊に顔を向けて生きるのは罪深く、さらに君に詩をささげるのは恥ずかしい。生者は口をつぐみ、旗の訴えに耳を傾けるべきだ。君に詩をささげる資格など、ぼくにはない。君の十七歳はすべての言葉と人が作ったものを超越している。(劉暁波

(訳注1)
「十七歳」は丁子霖の息子の蒋捷連を指す。蒋捷連は1972年6月2日生まれで、当時は中国人民大学付属高校2年生であった。彼は十七歳の誕生日を祝った翌日の夜十一時過ぎ、北京木〓*1地で戒厳部隊の銃弾に倒れた。
丁子霖*2は元中国人民大学准教授で、天安門事件で子供や身内を殺傷された女性を中心に組織された人権擁護団体「天安門の母たち」を創設し、天安門事件の真相究明を粘り強く続け「天安門の母」と呼ばれている。丁子霖・ 蒋培坤/ 山田耕介・ 新井ひふみ訳『天安門の犠牲者を訪ねて』文藝春秋、1994年*3、第二章「わが子蒋捷連のこと」参照。(劉燕子)

(10/9追加)

*1:「木犀」

*2:ていしりん、Ding Zilin

*3:isbn:9784163497006 C0031