松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

天安門事件の犠牲者を悼む詩

 劉暁波*1天安門事件(六四)二周年に、蒋捷連(十七歳の時事件に出会い銃殺された)を悼んで作った詩。

十七歳へ


ぼくは生きていて
過不足のない悪評もある
ぼくには勇気も資格もないが
花を一束と詩を一編ささげ
十七歳のほほえみの前に行く
たとえぼくが分かっていても
十七歳は何の怨みも抱いてないと 


十七歳という年齢が僕に告げる
生命は素朴で飾らないと
果てしない砂漠のように
木も水も必要なく
花の飾りも必要なく
太陽のほしいままの虐待に耐えられる


十七歳は路で倒れた
路はそれきり消えてしまった
泥土に永眠する十七歳は
書物のように安らかだ
十七歳は生を受けた世界に
何の未練もない
純白で傷のない年齢の他には


十七歳は呼吸が停止したとき
奇跡的に絶望していなかった
銃弾は山脈を貫通し
狂ったように海水を痙攣させた
すべての花が ただ
一色に染まったとき
十七歳は絶望しなかった
絶望するはずがない
君は未完成の愛を
白髪の母に託した


君を
家に鍵をかけて引きとめた母は
五星紅旗の下で
家族の貴い血脈を断ち切られた母は
君の臨終のまなざしで目覚めた
母は君の遺志を抱いて
すべての墓を訪ねた
倒れる寸前にはいつも
亡き君の息吹に
支えられ
路を歩みつづける


年齢を超越し
死を超越した
十七歳は
今や永遠だ


     劉暁波      (劉燕子訳)

p27-31 藤原書店天安門事件から「08憲章」へ』isbn:9784894347212


最初この詩を引用したのは、「ぼくは生きていて/過不足のない悪評もある/ぼくには勇気も資格もないが」という劉暁波の自画像がユーモラスだから。


過不足のない悪評ってそれどころではないだろ、と彼をよく知っている人は言うのではないか。彼がデビューしたときそのあまりに鋭利な批評にダークホース(黒馬)と呼ばれた。中国数千年の知識人のあり方に対する批判を文章にしたからだ。
共産主義系政党支配下言論の自由を求めた旗手という点では、金時鐘と共通点もある。過不足のない悪評どころではない、反感に囲まれたという点でも。しかし置かれている状況は彼我でまったく違うのだが。


「すべての花が ただ
 一色に染まったとき」
という修辞からも、金時鐘を思い出す。
「 この地に 赤以外の 花は望めず
  この地に 祷りの季節は 不必要でしょう。
  春は 炎と燃えて ヂンダレが息吹きます。」*2


劉暁波に自由を!

*1:http://bit.ly/aoIQg4 8日にノルウェーオスロで発表される今年のノーベル平和賞を巡り、中国の人権活動家に注目が集まっている。大手ブックメーカー(賭け屋)のウェブサイトでは、作家の劉暁波氏のオッズ(賭け率)がトップで3倍。現地の報道も、劉氏の受賞を有力視する。

*2:「春」より