松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

自分自身の言動や行動パターンを論理化してみよ!

toshi_fujiwara発 
@noharra宛 
つまりはあなたの場合、自分の立ち位置を示すとかいうことを考える前に、あなた自身をまず客体化して論理的に分析してみる、自分自身の言動や行動パターンを冷静かつ出来る限り身勝手にならないところで、自己正当化を排して論理化してみる必要があります。まずそこから始めて下さい 2010年09月26日 22時13分35秒 via ついっぷる in reply to noharra

すばらしいお言葉をいただいた。

その告発者の登場にただ服するという、誠実さだけをおう溢させる忍耐教師

先生方のほとんどが、勉強した知識を分けることなく、自分個人のものにすることによってのみ有名校をめざしえた部類の人たちであったことも、またつらい事実の一つです。その知識人たちがいま解放教育に身を挺しているのです。どこかで転位してなければできないことを、いま一生懸命とりくんでいられるわけです。どこでどのように転位をとげてのことでしょうか? その転位のとげかたが問題なのです。


確実に奪われていった歴史から目かくしされ、見せかけの真実に真理を追い求めていた自己の負い目が、先進的意識を表立たせねばならない「解放教育」になだれるとき、もうれつにせかれるかたちで自分をも含めた告発者を必要としてくるのです。そして、その告発者の登場にただ服するという、誠実さだけをおう溢させる忍耐教師、もしくは善意の社会人が現出するという次第です。……


金時鐘 「「差別」のなかの起点と視点」(1974年)『きらされるものとさらすものと』所収

http://kangaerukai.net/101kitadume.htm から

「解放教育」に取り組む熱心な教師たちの意識にある平板さがあるのではないかと、金時鐘が鋭く批判した部分である。