松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

議論のために:相手と私の間に〈もの〉を置く

internetでは、老若男女多様な人々が発言し、互いに意見を交換する事も容易である。そこに真に対等な討論が生まれ、新世紀の民主主義が成立していく事を、期待する人々も多かった。しかし実際に議論を始めてみると、すぐに不毛な罵倒の応酬になったり一方が議論を拒否したりで、粘り強く実りある議論に成長することは極めて稀であることが分かった。internetでもそれ以外(既成のマスコミ、ミニコミ、業界など)でも同じ事である。*1


結局、こういうことだろう。私というものが私の常識の上である発言をする。相手はその発言を読むが、相手は相手の常識の上でそれを理解するので、同じものが手渡されたかに見えながら実際は違うものに瞬間に変わっている、だのに人は「自己の常識」の中でしか考えられないのでその変移を捉えられない(気づくことができない)。そこで相手が悪意を持ってわざとトンチンカンな理解や応答をしてくると受け取ってしまう。


この問題をどう解決したら良いだろうか。
私はもちろんある主張をしたいから発言しているわけだが、一歩引いて考える。主張ではなく、できるだけ具体的な自己にとっても抵抗感のある〈もの〉を相手と私の間に投げ出すこと。そうすればその〈もの〉を私は黄色だと見るのに対し、相手は青色と見る、とりあえずどちらを採用して議論を進めていくか、といった形での議論ができる。「自己の常識の中で」と「自己の常識の中で」言葉を交わしあっても、同じ言葉に対して違う意味がすれ違っているという弯曲に気づき難い。できるだけ自己から距離をおいた〈もの〉であれば、「自己の常識の中で」と「自己の常識の中で」、相互の認識のあり方がどう食い違って居るのかの相互了解にたどり着く機会が生まれる。


具体的には、私はこの間、「朝高教科書は生徒の学ぶ権利を侵しているか? 」*2 という激しく対立的な議論を、twitter等で何人かの方としてきた。
私が素材としたのは、「現代朝鮮歴史」という朝高*3の教科書を翻訳したもの*4である。
一冊の本自体、もちろん〈もの〉である。しかし今回は相手はそれを読んでいない*5。したがって、そこから1行ないし数行を抜きだし、〈もの〉として相手に提示する。相手はそれに対しそれをどう見るか言うことにより、対話を開始させることができる。
そういう風に私は考えた。


ところが、それが必ずしもうまくいかなかったので、9/28に「三つの「国」の真ん中で」という記事を書いた。
これは第一部で、非命の叙情詩人尹東柱(ユンドンジュ)の「死体」*6を扱い、第二部で帰国運動で北共和国に帰った金和美さんという無名の少女の「死」*7を対比的に扱った。日本帝国主義軍国主義)の暴虐と、金正日独裁の人民抑圧との対比だとただのイデオロギー対立から逃れられないので、あえて二つの「死体」をイメージするところから始めよう、と考えたわけである。


思い返して見ると、この問題についての私の考察の出発点も、ある北朝鮮人が発した具体的な一つの発言にあった。黄虎男検事の「まず、日本政府は軍性奴隷制に関する真相を徹底的に調査し、全貌を公開しなければなりません。さきに申し上げたように、「慰安婦」の総数、国別人数、慰安所設置地域と慰安所の名称、その管理者、「慰安婦」の処理情況を含めて公開しなければならないと主張します。」*8 私は黄虎男検事の主張に同意した上で、つまり「慰安婦」問題の重要性を確認した上で、現在まったく確認できていない現在進行形の「犯罪」*9についての徹底的な調査を、北朝鮮国家についても求めていく、と主張したのだ。
私の主張は政治的なある立場に立つとみえるかもしれないが、黄虎男検事の調査要求が普遍的立場から為されたものであることと認めた上で、別の対象に対してもその正義の要請は向けられるべきだとしたものである。黄虎男発言という具体的な〈もの〉を提示することにより、私が討論(反論)を要求していることに注目して欲しい。


私はこのように、対話相手と私の間に具体的な〈もの〉を置きそれを素材に議論を始め持続していく事を、提唱したい。


なお、上に関連し「事実調査委員会の設置を通じて金正日国際法廷へ(上)http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00357 」という運動が開始されているようだ!

*1:アカデミズムや法曹界など特定の業界では、そこで通用する常識や議論のルールなどがあらかじめ決まっているので、少し違うが。

*2:http://togetter.com/id/noharra 9/11以降

*3:朝鮮高級学校 1条高でないので「高校」という名前を使えない。

*4:萩原稜氏他が今年急遽翻訳したもの

*5:原文を読んだ可能性のある方もいた

*6:あえてこういう書き方をするが

*7:あるいは確認できない「死体」

*8:http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090521#p1 及びhttp://d.hatena.ne.jp/noharra/20050125#p3

*9:特に3)日本から北朝鮮へ「帰国」した9万3千人の在日朝鮮人(一部日本国籍保持者も含む)とその家族は、日本との自由な往来を認められないだけでなく、北朝鮮国内でも差別を受けていると言われている。4)そしてなにより、人類史における最悪の人間虐待と糾弾されるべき政治犯収容所などの収容所の存在。