松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

映画「クロッシング」をめぐって

クロッシング」見てきました。


うーん。(ネタバレあり)
そのちょっと、主人公キム・ヨンス役の役者の肉付きがよすぎて、奥さんが栄養失調という設定がリアリティを失ってしまう。
冒頭の労働者のシーンも皆元気が良い。監督の頭のなかのモッブ(労働者)シーンというものがあって、それをなぞっただけのように思える。人々の着ている服も韓国標準を少し汚しただけであり、北朝鮮の平均とはかなり違うのではないか。
今年一月のニュースとして、

 咸鏡北道金策市城津製鋼所では、去る1月5日から24日*1の間に飢えのために死亡した労働者が38名、現在のところ、食べる食糧がないため、出勤できずにいる人が約140名以上いる  http://d.hatena.ne.jp/noharra/20100416#p1

平壌などの一部の人を除き、炭鉱町など田舎ではこの二十年ほどずっと飢餓からそれほど離れない生活が続いていたのだとすれば、そうした絶望の累乗といった雰囲気はこの映画にはない。*2
困窮・絶望のなかでもがくリアリティという点では、カネフスキーの名画『動くな、死ね、蘇えれ!』と比べることもできない。
シナリオでは、村での少年は「貧しいけれど幸せに暮らしていた」という設定なので、それにケチをつけるのは、映画の外からの注文になる。そう言われるかもしれないが。

実際の北朝鮮の村でのロケは夢にもかなわない状況のため、製作陣は緻密な事前調査を通し、北朝鮮の村をモンゴルと韓国の江原道に再現した。 各種の資料と映像のみならず、北朝鮮を最近に脱出した人々に直接取材して得たあらゆる情報を土台とした。 http://www.crossing-movie.jp/note.html

北朝鮮の村や市場、コッチェビの様子などはよくできていたと思う。

北朝鮮の国境を出て少し行った途端に携帯電話で韓国の父親と話ができてしまう、というもは、いままでの映画文法からいうとおかしく感じられてしまうが、その点に逆にリアリティがある。韓国と北朝鮮の間には五十年百年の歴史的落差に相当する落差がある。そのにも関わらず、いまや2万人もの脱北者がその到底信じられない落差を越えてしまったのだ。奇跡は可能であるのに運悪くすべり落ちてしまう人もいる。


北朝鮮の非人間性はこの映画では一点にしぼって表現されている。国境警備隊に捕まって「鍛錬隊」と呼ばれる強制労働キャンプにおける死体の扱いである。
人は死ぬとすぐただの物として扱われ、ズルズルと引きずっていかれる。どんな未開人でも死体をただの物として扱うことはないのだから、ここで人が未開に返ったわけではない。システム化された施設において死という価値だけが無視される。

クロッシング」上映を契機に、国連による脱北者保護、我が国の受け入れ枠の拡大を期待する

横田滋・早紀江夫妻が言っておられるが同感である。
中国が脱北者を難民として扱い北朝鮮へ送還しないことを求める。

徹訓(チョルフン)くんとキム・ジュニ

このブログは、「20040402射殺された北朝鮮難民の徹訓(チョルフン)くんを忘れるな!」というキャッチフレーズを掲げている。
レイチェル・コリーと桧森孝雄と並べて徹訓(チョルフン)くんといういずれも殺された人の名前を列挙している。*3
イスラエル国家に殺されたレイチェル・コリーの名前は、かっての樺美智子のように世界中の人々(の一部)にアピール力がある。桧森孝雄の名前はごくごく一部の人に対して同様の力を持っている。
それに対して、徹訓(チョルフン)くんは世界中で全く無名であり、サイトに名前を掲げた李英和も多忙なのでひょっとしたら忘れているかもしれない。
私も忘れていた。でもそれでいいので最初からそのつもりで掲げてあるのだ。誰からも忘れられてしまうそうした死、限りなくたくさんの死、そうしたものの象徴として私は徹訓(チョルフン)くんを選んだまで、だからだ。


ただ、この映画が出ることで、事情は変わった。*4 この映画の主人公はキム・ジュニ(シン・ミンチョル演じる)という少年である。射殺された徹訓(チョルフン)くんは16歳の少年であり、キム・ジュニより少し大きい。*5 中国内蒙古自治区満洲里の近辺からモンゴルへの越境を試みた徹訓(チョルフン)くんに対し、キム・ジュニは内モンゴル自治州のフーハーハオターからモンゴルのアーリアンハオターの近くで国境を越えた設定になっている、しかしその違いは全く大きくない。キム・ジュニは国境を越えずに射殺されたのだったのかもしれない。しかしそれでは中国という国家をしげきするだけなので凍死になっているまでである。
誰からも忘れられてしまうそうした死、そうしたものの象徴であったはずの徹訓(チョルフン)くんは、まさにデリダの予言通り、回帰してきたのだ。

返歌 旅人の宿りせむ野に霜降らば

旅人の宿りせむ野に霜降らば 我が子はぐくめ天の鶴群(たづむら)
万葉集 巻9の1791 遣唐使随員の母

大ヒット御礼 6月中旬まで上映と

シネマート心斎橋では。 すごいですね。

*1:2010年

*2:北朝鮮の現実を私は知らないので推測だが

*3:桧森孝雄は自死だが、土地の日に死ぬことは氏イスラエルの暴虐の持続に対する怒りの表明である

*4:日本でもこの種の映画としてはヒット作になるようだ。

*5:北朝鮮の16歳の少年は日本の少年より平均的にずっと背が低い。