松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

金正日体制の崩壊を戦争と言い換えるデマゴギー

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201003011350471
に、「北朝鮮との戦争を煽る「人権活動家」たちの欺瞞と「拉致被害者救出運動」の向かう先」という記事が出た。
これがデマゴギーかもしれない要素はタイトルにもある。「〜の向かう先」に読者のフォーカスを向かわせようという指向を筆者は持っている。
筆者は村上力 という人のようだ。

日本の戦争責任や侵略・人権侵害を棚上げして、北朝鮮体制を「打倒」すること

という文は、「北朝鮮体制を打倒する」という主張は「日本の戦争責任や侵略・人権侵害を棚上げする」という傾向と不可分であるという筆者の思想を表している。
しかしこの思想は主題的に論じられる事はない。あくまでも前提として自明しされたまま文章が終わる。そのことによりこの思想は自明であるという宣伝効果をこの文章を読んだ人に呼び起こすのだ。
 

  もちろん、世界各地で起こる人権侵害は批難されて然るべきである。しかし、北朝鮮に関して日本は、かつて植民地支配を行い、現在に至っては経済制裁を加えている。つまり日本は北朝鮮社会で起こるあらゆる出来事について無関係ではない。まして慢性的な食糧不足が発生している北朝鮮社会の貧困、またそれに起因する北朝鮮難民の発生については、日本は制裁措置により北朝鮮の経済を締め上げている当事者でもある。(同)

今現在、北朝鮮国内で飢餓といった出来事が大量におこってしまうこと、それに対する責任は金正日独裁政権に百%あることは間違いない。
日本の制裁措置があろうがなかろうが、本質的な関係はない。
「世界各地で起こる人権侵害は批難されて然るべき」と言いながら、「北朝鮮で起こる人権侵害を村上力が批難することはないのだ。

このたぐいの文章はいっぱいあるので、村上力あて批判するのはむなしい。
この文章はここで中断。