松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

天皇について

素朴に思うのは、・・・


すべての国民は偉くなると天皇に会える権利を獲得するようだ。それは統治にとって大きな力を持つ。恣意的な権力に全体を僭称する権利を与える。*1
で、具体的に多くの国民に具体的な笑顔を向けなければ成らない天皇、皇族にとってそれは労働でしかない。しんどいことだ。
とりあえず、来年からは天皇の労働は半分に減らせばよい! と思う。で宮内庁職員も半分以上減らしていくべきだ。宮内庁職員は天皇の仕事について根本的な勘違いをしていて誤っているのでそうした人は止めていただけば、自然に半分になる。
公務員の人件費を減らしたければ、公務員の仕事を減らすしかない。仕事というものに対する基本的構えを崩してしまえば、仕事を減らすなど簡単なことだ。*2

 その上で、それ以上の場所に天皇を引っ張りだして公的なふるまいをさせることに共産党は反対しています。たとえば国会の開会式。天皇をまるで国会の主催者のような高い場所に立たせ、「おことば」という名の訓辞を読ませる。こんなこと憲法のどこにも書いてありません。書いてないことを時の政府が勝手にやらせる。これはダメです。天皇憲法に書いてない政治的ふるまいをさせてはいけないと、共産党はずっと国会の開会式に欠席してきました。どうしても天皇にこういうことをやらせたければ、やはり憲法を改正するしかないのです。その上で、だからこそ憲法を改正すべしと思うかどうかは別にして、あるいは天皇(制)に対してどんな考えをもっていようとも関係なく、断固としてそう言うのです。言い切るのです。これが「政治利用はダメ」ということの一貫した態度です。
http://bund.jp/md/wordpress/?p=4029

*1:日本は民主主義国家だ。したがって真に国民を愛し国民に何かを与えた人が栄誉を与えられる。これは善であり、恣意的ではない。と言われるかもしれないな。・・・

*2:もちろん法律は簡単には変えられない。法律の目的のために限られた人数でできることをやるまでだ。