松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

私たち川岸の子どもたちは7、8歳になると

さて上記NHKの番組はすべて秀作で教えられることが多い。それは先の大戦を日本人が日本人として振り返るための映像である。中国人なり他のアジア人から見た場合はどうなのか? その真実は容易に知り得ないとはいえ、そのヒントはネットや本などからも得ることができる。

 あるとき私たちが逃げ遅れて、十数人が全員捉まって村に戻されたことがあった。(略)ふたりの若い女性が連れ去られ(略)
 数日たって連れて行かれた女性のうちひとりは帰って来たが、もう一人は消息が消え、いまに至っても消息不明で、殺されたのかあるいはどこなにつれていかれたのかわからない。帰って来たその女性はいまも生きている。当時彼女は十何歳で、現在は80歳過ぎだ。その後、彼女はときどき私の妻と一緒におしゃべりをしているときに、あのときたくさんの日本鬼子に輪姦されて以来病気がちで、いまも治ってはいないといっていた。
P46 「記憶にであう」isbn:9784624112028 C0022

あの頃、私たち川岸の子どもたちは7、8歳になると、大人たちに連れられて水泳を習った。もしも日本人が来たときに船に乗れなかったら、自分で黄河を泳いで陜西へ逃げるためだった。
p34 同書

山西省の田舎の村の戦争体験者からの証言。著者の大野のり子さんは、2005年から中国黄土高原にて老人たちの記憶を聞き取りながら生活しておられる方だ。 (8/23追記)