核兵器の使用は絶対悪か?
朝鮮民主主義研究センターによると、
http://www.asiavoice.net/nkorea/2009/07/post_298.html
国際司法裁判所は核兵器による脅迫または核兵器の使用について、合法か違法かはっきりと結論を出すことができない。「国家の存亡そのものがかかっているような自衛の極限状況において」という条件においては。と言っているらしい。
「国家の存亡」なんてものがどうあろうが、数万人の人たちを問答無用に虐殺する核兵器の使用は絶対悪だ、と考える。日本人の多くはこれに賛成してくれるはずだ。
しかし一方国際司法裁判所というものは、人類の良心の現段階を表しているとも理解すべきだ。国家は戦争する権利がある、核兵器を持っている国は兵器としてつまりそれを脅迫または使用するために持っているのであり、核廃絶に向かって努力を必死でしていかなければならないのは当然としても、そうなっていない現状において、核兵器による脅迫または核兵器の使用は絶対悪だと言ってみても空語にすぎない、と。
そもそも、日本人は「核兵器の使用は絶対悪だ」と思いたいのなら、米軍の核の傘からどこかの時点で離脱すべきだった。
核を持つ他者に怯えることも、それによって、世界平和をなんとしても実現しなければならないとわたしたちが思うようになるなら、良いことかもしれない。
私自身も北朝鮮の核武装がことさら問題だとは考えていない。アメリカをはじめとして核保有国はいくつもあるのだから北朝鮮にも核保有の権利はある。
http://www.asiavoice.net/nkorea/
認めたくなくともまあそう考えるしかないだろう。
しかし、国内における慢性的な食糧不足を放置したまま核開発に資源を投入し、国際社会のあらゆる反対を無視して核実験を強行し、仰々しい言葉で周辺国を脅迫してみせる北朝鮮のやり方は容認しがたいものだ。
わたしたちは現行の国際秩序を前提にものを考えるべきではない。つまり北朝鮮人民の権利を北朝鮮国家が代表していると考えるべきでないのだ。
「北朝鮮の政治体制を決める、あるいは変える権利を持つのは北朝鮮国民自身であるという当たり前の事実を受け入れる」べきだ、という一見正論をはくひとがいる。しかし、金正日体制を転換させる主体形成を抑圧しているのは誰なのか?*1
北朝鮮の人民がみずから「政治体制を決める」ことができるよう、積極的に働きかけることこそ我々の義務でなければならない。
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ある難民の訴え
ある時期まで、そしていまでもおおむね日本国家は人間にやさしい国家だった。「反日上等」派は反対するでしょうが、そう発語する方がよいかもしれない。
ソニーのテレビやトヨタの車が売れたら日本人は嬉しい、というだけではなく、もっと日本にとって嬉しく、誇り高いのは、日本の文化、文明ではないかと思います。それは人間の優れた感性、人間を大切にする考え方、そういった優れた日本の価値観を、アジアに輸出していくべきではないかと私は思います。そうしなければ、このアジアはいつまでも変わらないと思います。
ただ、そうは言っても、一方で現実はきびしいと思います。先ほども申しましたように、私は今でも難民と認められていません、この優れた文化、文明を持った民主国家日本でも難民が認められず、難民問題に無関心なのです。この現実を変えなければ、中国にも、北朝鮮にも、ビルマにも、その現状を変えられないのです。
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00122
まあとにかく日本を難民にやさしい国家にしていくべく力をあわせよう。
北朝鮮民衆や脱北者の側ではなく、金政権との対話?
そしてまた、左派・リベラル派の方々の中に、今も尚脱北者問題に余り関心をお持ちでない方が見受けられ、ややもすれば、平和を維持し対話を重視すると言う視点から、北朝鮮民衆や脱北者の側ではなく、金正日独裁政権との対話や相互理解を優先するような姿勢を見せる時、私はその方々は自らの理想・思想を自らが裏切ってしまうのではないかと言う危惧を覚える。
人権を重んじ、自由の価値を信じ、弱者に共感を寄せる精神をお持ちの方々は、恐怖で民衆を縛りつけ屈従させる独裁政権に対しいかなる意味でもゆるす事はできないはずである。
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00123
同趣旨のコピペを繰り返し恐縮だが、きみたちが何かに遠慮している暇に50年も経ってしまったのだよとわたしは繰り返したい。