松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

間違ってからあやまる勇気

規範的(一般的)正当性など問題ではない。「オレが正しい」と叫んで周囲を黙らせ得るだけの圧倒的な信念だけが、絶対的な「ただしさ」を生む。その内容は重要ではない。規範の内容は相対的でしか在り得ないが、自分は絶対に正しいと信じて疑わないその意志、その瞬間・唯一無二の、その熱量だけは、絶対的なのだ。

絶対の正しさなど無いのだから、他を圧倒できた者が正しい。「オレが正しい」と誰よりも強く信じた者が、正しいのである。意志の「ただしさ」は、客観的な正当性を約束された正しさではない。そんな脆弱な「答え合わせ」ではないのだ。それは自らの全存在を賭けた「正解の創出」なのだから。
http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20090503

意思の強さその熱量だけによる! とはファシズム。でもファシズムだから駄目とはならない。戦後60年かけて政権交代すら実現できない非独立国日本を支配しているパターナリズムよりまし(なような気がする)。
あなたが主張する==わたしは聞いている、という落差をすくい取ることができる政治哲学が求められている。落差を止揚することができるものとして、伝統や共同性、日本なるものを用意する思想が強かったが、その無効は明らかになった。
わたしは攻撃的に主張するが、常に誤りを認める用意がある。つまり弱者であるあなたの沈黙を聞き取ろうとしそこにたたずむ用意があると言うべきなのだ。