アフリカの地図を見た
図書館に「語り得ぬ真実 真実委員会の挑戦」isbn:4582833284厚い本があった。
第4章「5つの主要な真実委員会」
アルゼンチン:1976年から 軍兵士の手により1〜3万人が行方不明
チリ
エルサルバドル
南アフリカ:1996年から 2万人以上の被害者・証人から証言を聴取
グアテマラ:死者・行方不明 20万人
第5章「その他の16の委員会」
ウガンダ(1974)
ボリビア
ウルグアイ
ジンバブエ
ウガンダ(1986)
ネパール
チャド:4万人以上死亡 ハブレ体制下の軍人によって
南アフリカ(アフリカ民族会議(ANC))1991
ドイツ
アフリカ民族会議 2回目め 1993
スリランカ
ハイチ
ブルンジ
エクアドル
ナイジェリア 1999
シエラレオネ
最初の21のうち南ア以外のアフリカは以下の6国。
ウガンダ 2回あり
ジンバブエ
チャド:4万人以上死亡 ハブレ体制下の軍人によって
ブルンジ
ナイジェリア 1999
シエラレオネ
アフリカは知らない国名も多い。このごろ、モロッコのグナーワ音楽とマリのティナリウェンのアルバムに夢中になっていたのだが。昔知っていたグループと言えば、サニー・アデとフェラ・クティでこれはナイジェリア。地図で見るとカサブランカ・ジブラルタル海峡のあたりからまっすぐ南下するとモロッコ、マリでそのままいくとブルキナファソ、ガーナだ。ナイジェリアはそのちょっと東。
チャドはナイジェリアの北東でスーダンの西(国境地帯に難民がいるのかな?ググると百万人という数字が)。
ガーナの西に、順に、コートジボワール、リベリア、シエラレオネ。
で残り3つは西アフリカから遠い。ジンバブエは南アの北東、モザンビークの西。
(ウガンダ、ブルンジなんてどこにあるか知らないや。)
映画『ホテル・ルワンダ』で有名な(見てないが)紛争(少なくとも80万 - 100万人が虐殺された)のあったルワンダの下の小さな国がブルンジ、上の国がウガンダ(ケニヤの西)。以上、と思ったが。
ついでだから、音楽(リンガラ)でも有名な大きな国コンゴにも触れておく。
ルワンダの政権を握っていた少数派のツチ族が、多数派のフツ族に虐殺されます。ツチ族は北のウガンダに逃げ、ウガンダ軍はツチ族を支援し、ツチ族はルワンダに舞い戻り、フツ族を追い出します。そしてフツ族は西のコンゴ民主共和国に逃げ、内戦がコンゴにも飛び火します。
http://blog.livedoor.jp/mana25/archives/50007895.html
id:finalvent氏の「noharaさんはこの間に進行していた世界の虐殺についてどう対応したのだろうか。」という問に刺激され、分厚い本を借りアフリカの地図を見てみたがわたしの知識は小学生レベルであることが確認できただけだ。*1
世界の虐殺! このブログにはスーチーさんの顔を掲げているがビルマ関係の記事も1年ほど何も書けていない。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20040908#p1
日本人は北朝鮮の収容所のことをもっと知ろうとし告発していくべきだというのが私の意見だが、私は何もできていない!
ダルフールについては、
20040908 finelventさんのwikiを紹介しただけだ。finelvent記事一覧
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/03/post-0f1e.html
(もしICCがこの問題をしくじるなら、スーダンの崩壊に世界は直面し、ICCの決定は、人権の勝利など存在しないことの証明になってしまうだろう。)
ICCを支える諸国がこの問題を解決できないなら、人権そのものが空文に帰してしまいかねない。では人権というものを支える、その諸国はどこにあるのか。ここだ(濃緑の部分)。
ガザ問題よりダルフール問題の方が大事という立場は当然ありうるだろう。桁違いの人数が生存の危機にさらされている。わたしはそれは分かった上でなお、ガザ問題をダルフール問題より大事な問題だとアピールしたい。上の記事によれば、
ダルフール問題において加害者が誰か?という問に対し、スーダンのバシル大統領とする答えが提出されたが、「バシル大統領が国家元首として対象となる裁判ではあるものの、彼はICCが描いているような独裁者ではない。この問題の専門家は、政府内の別グループが組織的な戦争犯罪を直接推進していると見ている。」それは不正解ではないものの正解ともいえないのだ。
それに比べると、60年に及ぶガザとヨルダン川西岸に対するイスラエルの暴虐は主体を明確に名差すことができる、つまりイスラエル国家だ。同じ国家といってもアフリカの不安定な国家とは格段の立派な国家である。不正義を犯した場合は厳しく追求されて当然だしまたそれに応える能力ももっている。これがガザ問題がいま世界で一番大きな不正義であると私が判断する理由だ。
*1:どう対応したのだろうか?答:ガザ問題について2回だけデモに行き、ブログに記事を少し書いた。それ以外何もしていない。