松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

不連続の周辺への押しつけ

大日本帝国の問題は、むしろそれが何をしたかよりも、解体された後に、旧国民を日本国がどう突き放したか、ということにこそ問題があるような気がしますけどね。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090418/1240012166#c1240024408

8.15という切断によって、大日本帝国は(小)日本になった。これを受け入れる最も安易な方法は、大日本というのは偶発的な不幸な逸脱で、日本は太古の昔から(小)日本だったというのものである。これによって、「戦争が悪でありわたしが悪いんじゃない」とする(いまもfinalvent氏が使用しているレトリック)をともないつつ、余りにも巨大な戦争と戦争犯罪を自己から切り離すことに成功した。
自己から切り離すことすべてを拒否すべきではない。なんらかの切断は必要であった。ただその不連続を「周辺」に押しつけ、天皇と日本という名だけはしっかり生き延びるという戦略が成功し、日本の大衆も天皇と日本という名(と「平和憲法」)に包括される限りで生き延び得ることになった。4.3と2.28をオキナワの惨劇といっしょくたに語りたければ、「不連続の周辺への押しつけ」というレトリックはどうだろう。