理性のように普遍的
メンデルスゾーンは近代人に、スピノザがマイモニデス*1から借用した観点を示唆した。すなわち、もっとも古い一神教は啓示された宗教ではなく、啓示された律法である、と。その真理は、理性のように普遍的である。*2
サルトルのRéflexions sur la question juive(ユダヤ問題について)に対するもっとも驚くべきかつ深い批判は1947年5月にCritiqueに発表された二ページに満たないが極度に濃縮されたジョルジュ バタイユのそれであろう。
http://d.hatena.ne.jp/temjinus/20090127#p3
ジャンケレヴィッチがこういう発言をしたとtemjinusさんが紹介されていて、ほめられたバタイユの短文、ひょっとして私の持っている日本語訳にあるかなと探したらあった。*3
「ユダヤ問題について)に対するもっとも驚くべきかつ深い批判は1947年5月にCritiqueに発表された二ページに満たないが極度に濃縮されたジョルジュ バタイユのそれ」日本語訳は、p72『戦争/政治/実存』(バタイユ著作集 二見書房 山本功訳)にあります。すごい賛辞ですね。短いので今から読んでみます。
とコメント。
4ページの短い文章なので簡単に内容紹介したいが(たぶんうまくいなかないでしょう。)
一般に、人間であるという事実のなかには、克服されるべき重苦しく胸をむかつかせるある要素がある。しかし、この重荷と嫌悪感とは、アウシュヴィッツ以降ほど重苦しくなったことはかってなかった。あなたやわたしとおなじように、アウシュヴィッツの責任者たちも、鼻や口や声や人間的な理性を具え、たがいに結婚して、子供をもつことができたのである。ピラミッドやアクロポリスのように、アウシュヴィッツも*4人間の業績であり、人間のしるしである。
(バタイユ p72『戦争/政治/実存』)
とバタイユはアウシュヴィッツを捉える。「人間であるという事実のなかには」という構えなので当然、ある範疇のひとたちに罪を転嫁するだけで済ますことなどできない。
人類の卑劣さのなかでも、ユダヤ人排斥論はもっともさもしい衝動だ、とバタイユはいう。*5以上前半。
サルトルは、かなり逆説的に、民主主義者とユダヤ人自身とを批判している。彼らは大抵の場合、理性的で差別のない人間観に固執している、というのだ。キリスト教徒がわがものとしている、ある状況と結びついた特殊な生命的価値を、自分のものにすることができないまま、その価値に対して理性の普遍性を対峙させているユダヤ人を、サルトルは真正でない者と名づけている。(…ベルグソン、フッサール、スピノザ)(P74 同書)
ユダヤ人はふるさとを持たない、そこで情況に自己を投企する活動に目覚めることができないまま「理性の普遍性」をひたすらうちたてようと思考に入り込んでしまう。サルトルはユダヤ人を全面的に弁護するのかとおもうとさにあらず、批判もしているのだ。「理性の普遍性」というもの、日本人には理解しにくいので、冒頭にレヴィナスの断片を引いておいた。
でそれに対しバタイユはサルトルを認めながら反批判する。
たしかに、ユダヤ的な思想に見られる普遍性は、逃避的態度をその源としている。すなわちどのユダヤ人にも、生命的な共同体からしめ出されるに値した特殊性を、否定したいという欲望があるのだ。しかし、この否定はまた、ある「状況」の間接的な表現であり、その超出としてあるものである。その点で、ユダヤ的な思想は革命的な思想と一致する(スピノザは最初の民主主義的な思想家ではなかろうか)。その論拠は反駁され得るものだろうが、合理主義はそれなりに、ユダヤ人を世界の残りと対立させている特殊性となっているのではなかろうか。(同)
ユダヤ的な真正性はまさに、アウシュヴィッツでその肉体を介して苦しんでいたのは理性であった、という点にあるのではなかろうか。(同)
理性の名によってユダヤ人をバタイユがより根底的に擁護している。哲学の歴史のなかで「理性の普遍性」がのさばっているのに対し自分の実存主義でもってたちむかったサルトル。
特殊な情況ゆえに普遍に恋焦がれ、それを口にすることで反ユダヤ主義を招き寄せる〈ユダヤ人〉。生活者にとっては〈普遍〉が日常を弯曲させるてしまうのだという逆説的ダイナミズム。それに注目したバタイユの偉大さ!
*1:マイモニデスは12世紀ムーア人のスペインに生まれ、カイロの方に移住、アラビア語で著作したユダヤ思想家。アリストテレスとユダヤ教を宥和させることを試みスコラ哲学の先駆けとなった。アヴィセンナなどのイスラム教の学者たちとともに
*2:レヴィナス『困難な自由』p363 isbn:9784588009051
*3:ジャンケレヴィッチという人全然知らないが次のようなエピソードがあるとのことで好感をもった。「1982年にはイスラエル軍のベイルート侵攻に反対するイスラエル大使館への抗議デモに参加し、フランスユダヤ人社会からの非難にさらされた。」ユダヤ人でありながらイスラエルシンパに叩かれたので「普遍」の擁護にシンパシーを持ったのか。
*4:ガザも 野原註