松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ナチラエルいやユダヤ人に対する嫌悪

1/15コメント欄に「福田恒存糾弾会長」さんからコメントがあった。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20090115#c1232195970

実にユダヤは世界に災厄をもたらす巨悪の1つである。イスラエルナチスよりも恐ろしい。よって今後はイスラエルを ナチラエル NAZIRAEL と呼ぶ事を提案する。


 イスラエル国内だけでなく今回の攻撃を積極的に支持している人たちもたくさんいることは確かでしょう。
 しかし一方では、いわゆるユダヤ人のなかでも今回の攻撃に積極的に反対している人々も多いのです。


テルアビブでは1月3日に、1万(以上)のデモがありました。
警察もデモの自由のために働いています。イスラエル国家は一方で虐殺を行いながらも一方では市民の自由を尊重しているのです。


ユダヤ人というものが悪いわけではありません。

エフド・バラク〔国防大臣〕が軍隊にガザに対する残虐な地上攻撃を命令していたその頃、テルアビブでは、イスラエル全土から駆けつけた、戦争に反対する一万人あまりの人々が行進して、一大デモを行った。テルアビブの主要道路のひとつであるイブン・グヴィロル通りの4車線はデモの人々で埋め尽くされた。参加者は、ラビン広場からシネマテックまでずっと歌を歌い、旗を振りながら行進した。

「選挙戦は子どもたちの死体の上でするものじゃない!」
参加者はヘブライ語で韻を踏みながら叫んだ。

「孤児や未亡人を選挙宣伝に使うな!」
オルメルト、リヴニ、バラク――戦争はゲームじゃない!」
「全閣僚が戦争犯罪者だ!」
「バラク、バラク、心配するな――ハーグ〔国際刑事裁判所〕で会おう!」
「もうたくさんだ――ハマースと話し合え!」

 プラカードに書かれているのも、同様の文言だった。バラクの選挙スローガンをもじったものもあった:「バラクに愛想がないのは、殺人者ゆえ!」(バラクのスローガンの原文は「バラクに愛想がないのは、指導者ゆえ!」

 こんなのもある:
「2009年、選挙のための戦争にNOを!」、「6-議席-戦争!」
これは、戦争初日の世論調査で、バラク率いる労働党が6議席獲得の見込みと発表されたことを指している。

 デモは警察との衝突のあとで始まった。警察は、右翼の暴徒がデモ隊を攻撃するのを抑えることができないからと言って、デモを禁じるか、少なくとも制約しようとしたのだった。なかでも警察は、デモの組織人たちに、参加者がパレスチナの旗を掲げるのを禁じるよう求めた。組織人たちは高等裁判所に請願、裁判所は、パレスチナの旗を合法と判断し、警察にデモ隊を暴徒から守るよう命じた。

 デモの実施は、グシュ・シャロームと、平和のための女性連合、壁に反対するアナーキスト、ハダシュ、オルターナティヴ情報センター、ニュー・プロファイルなど20団体が決定した。メレツとピースナウは公式には参加していないが、多くのメンバーがデモに現れた。〔イスラエル〕北部から約1000人のアラブ系市民が20台のバスを連ねて到着した。彼らは、サクニーンで行われたアラブ系国民主体の一大デモを終えてその足でやって来たのだった。

 組織人たち自身にとっても、これだけの規模の参加者があったことは驚きだった。
http://peacemedia.jp/topics/090103demo.html

 この抗議行動の日、極右は力ずくでデモを粉砕するために動員をかけた。警察は暴動の阻止に極力、努め、ラビン広場からシネマテックまでの1マイルの行進は比較的平穏に運んだ。しかし、参加者が警察との合意に基づき解散し始めたとき、暴徒の一大群集が彼らを攻撃し始めたのだった。警察は、それまで両陣営を近づけさせないようにしていたのだが、その場から姿を消した。暴徒たちはこのあと、デモ隊の最後尾の参加者たちを取り囲み、嫌がらせをし、小突き回した挙句、最後のデモ参加者たちの何人かがシネマテックに逃げ込むと、これを包囲した。彼らは建物の内部に押し入ろうとし、デモ参加者を「片付けてやる」と脅したが、最後の瞬間、何人かの警官が到着し、入り口を守った。暴徒たちは長いこと、その場を立ち去らなかった。(同上)