松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「絶対的真実はないと主張する」ことの含意

B.ポストモダニズム系リベラルの理論家は、「公共空間の言論は開かれていて絶対的真実はない」と随所で主張している。

C.だとすれば。ポストモダニズム系リベラルは、たとえその信条が私的にどれほど許し難かったとしても、南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える必要があるはずである(この場合の「耳を傾ける」=「同意する」ではない)。
東浩紀
http://www.hirokiazuma.com/archives/000466.html


ポ〜モ、ポモポモ、デリダの子・・・といった替え歌までできているようで、それはデリダが可哀想だろう!
南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に場所を与える必要」という発想は、デリダの上記引用からはでてこないことは明らかですね。
それよりも、
どんな場合にも死者は話さないのであってその絶対性にぶつからない範囲で語ろうとすると、(東浩紀)のようなどうしようもない言説に転落してしまう危険があるんだよ、みたいなことをいいそうだ。
(デリディアンとしてこんなことは言いたくないけど)というセリフがあって、東氏は今も自分をデリディアンと言っているようだが、デリダについて本を書けばデリディアンだとはならないだろう。*1

*1:マルクスについて本を書いたからといってマルクス主義者にはならないように