松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

気がつかない、今は

・・・・・・追悼が要求しているように、自分には負債があることを表明せざるをえないと感じるときが、来るのである。自分が友に負っているものを語るのは義務だと感じる時が。(デリダ*1・・・・・・


自己である限りの自己を大事にするのではなく、むしろ、(潜在的には自己を脅かすかもしれないがゆえに忘れている)あいまいな負債をどんなことがあっても切り捨てないこと。そのことを大事だとデリダは思った。

デリダがわたしたちに気づかせようとしてきたのは、批評実践、すなわち、社会や政治の変革は絶え間ないプロジェクトであると理解すること、放棄することができないもの、そして生そのものになるのと同延のこと、そして排除や抹消をとおして政治形態が作られる法則を読みとることである。(バトラー)(p84 同書)

 ちょっと読みにくいところのある文章だが、深読みすれば、自己=生そのものも排除や抹消をとおして作られたものであり、それゆえ絶え間ない挑発(脱構築)を実践する必要があるのだ、とも読める。