松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

あらかじめ隠されているものを無視すること

自らの聴取の位置、発話の位置をまったく問題化しない態度を、アーレントは没思考性(thought-lessness)という言葉で表現した。“thoughtless”という表現は、一方における批判的思考の欠如と、他方における他者の意見や行為へのアテンションの不在との間に結びつきがあることを示唆している(「不注意な」「顧みない」という意味がこの語の日常の用法である)。「決まり文句、常套句、習律的で標準化された表現や振舞いのコードへの固執は、リアリティから私たちを保護するという社会的に認められた機能をもっている」。そうしたコードへの固執が〈thoughtlessness〉であり、それは、〈thinking attention〉の負担を自己免除し、そのことによって自らのリアリティを極度に選択的なものとする。「選択されたリアリティ」の範囲外に放逐される人びと、彼/彼女らの行いや言葉は、アテンションを向けるに及ばないものとして退けられるか、既存のコードにしたがってのみ解釈される。〈thought-lessness〉は、自らの発話−聴取の位置が問題化されるという不安を回避するための安全装置にほかならない。
(齋藤純一 p94『政治と複数性』isbn:9784000236782


えーその東浩紀批判のためのテキスト断片の1です。デリダは出てきませんが、齋藤純一と東は共著に名を連ねたことがあり、狭い業界のお友達のようなもの(なのでしょう)。