松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

わたし=執着は無である

 その辺を後に、妙心寺の開山、関山国師は、「柏樹子の話(わ)に賊機(ぞっき)あり」と、寸評されています。この公案には恐ろしい盗賊のような働きがあって、私達が今まで営々として築いて来た名誉財産はいうに及ばず、執着分別心、煩悩妄想を、根こそぎ奪い去らずにはおかない機略があるというわけです。
http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/011201.html