松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

学力テストを実施する役目は終わったと思う。(4)

uumin3さんへのRES(後半)

 「なぜ生徒たちが真剣に取り組んだと、uumin3さんを始めとするすべてのみなさんは考える権利を得たのだろう」とおっしゃいますが、これは方向が逆で、テストを課す側が「受ける生徒たちがまじめにやらないだろう」と考えてテストをするはずがそもそもないとは思われませんか。むしろ「まじめではなかった」という証明はそれを主張される側にあるはず。
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20080928#p1

 uumin3さんは調査というものを何も知らずに書いていますね。まあわたしもあまり知識があるわけでもないですが。
「受ける生徒たちがまじめにやらない」かもしれない可能性は常にあるわけです。それを控除しようとするのが調査というものです。参考:
http://d.hatena.ne.jp/nishiohirokazu/20080918/1221708888

「全国学力テスト」は小学6年生で4時限、正味3時間を費やすのだという。savaさんは「中学受験に関係のないごく普通の6年生が、4時間びっしり机に向かってエンピツを握り、アタマを使い続けるなんてできるのだろうか。すごいストレスだろうなあ」という。多分、それは(有効票から排除すべき)いい加減な回答の増加を帰結すると思うのだけど、如何? それよりも、普通のアンケート調査でインフォーマントを3時間拘束するとすれば、かなりの拒否率と相当の謝礼金を覚悟しなければならないだろう。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070419/1177003404


結局調査と言うものは2種類あるわけで、
何かを知るための調査と、 参加することに意義がある調査の二つです。
全員参加という建前を大事にする役人的調査は意図的である場合もそうでない場合もありますが何かを知るためというより何かを隠してしまう可能性も強い。捕捉された例だけが列挙されうかびがってこないデータはこれ幸いとないことになるわけです。
何かを知るためであれば、いたずらに全数調査にこだわるのではなく、調査を厳密に設計し分析を丁寧に行うことが必要です。

 もし、検討会議が本当に全国学力テストによって実態を把握したいと考え、全国学力テストを今後も継続させようと考えるなら、「悉皆調査」よりも、収集するデータの信頼性が高く、より広い範囲をカバーできるhttp://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070509/1178642759で紹介したようなPISAやNAEPと同様のものを選択するのではないか。

教育の分野に限らず、統計を使うときに危険なのは、得てして、調査項目の設定過程、サンプリングの方法や実施結果、処理手続きなどのプロセスが隠されたまま、数値だけが独り歩きしてしまうことです。どのような調査も完全ではありません。したがって、そのプロセスを明示し、統計数値の見方、限界範囲、他の類似情報との比較可能性などが明らかになって初めて、その統計数値の示唆する意味を理解できるのです。
http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070509/1178642759


結局、全国学力調査2年目の結果としては

調査結果の分析は全体として前年と大差がなく、抽出調査でもわかるし、何より現場の教師が直接子どもと接する中で実感していることです。毎年やる必要も、全国一斉に全員を対象に調査する意味もないといえます。
http://d.hatena.ne.jp/seikyourou/20080830#1220064567

につきるわけです。
親の経済力、文化資本(パソコンやたくさんの本を持っているか)が子供の学力と強い相関関係にある、という前から分かっていたことがさらに確認できたわけです。

 正答数に大きく関係している「朝食」、「家庭での学習」、「宿題」は、相互に密接な関係があり、例えば朝食を毎日食べている児童生徒ほど、家庭で長い時間学習をし、宿題をよくしている傾向が見られる。また、基本的生活習慣に正答数との大きな関連が見られ、他にも学習習慣や規範意識自尊感情、家庭でのコミュニケーションなどとの関連が見られる。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/zenkoku/08020513/001/002.htm

でそれでどうすればよいのか、といっても親の経済力、文化資本の格差を埋める名案などあるわけがありません。

 例えば、朝食を毎日食べている児童生徒ほど学力が高いという傾向が見られたが、これは各児童生徒自身の特性や各家庭における子育て全般に対する姿勢などを反映している可能性があり、朝食を毎日食べれば学力が向上すると単純に結びつけることはできない。(同上)

結局前に書いたように「力のある教師や加配教員をどこに配置し、教員研修の機会をどう設けるのかといった行財政的な政策を考える」といった地味な努力を積み重なるしかないでしょう。


一部の人は不条理にも、格差をさらに拡大することが問題解決になると考える。考えているのか、何をしているのか分からない不条理としか私には思えませんが。*1
良い学校に通いたいという市民の権利を保証するために、どの地域に住めば良い学校に近いか知る権利があるとテーゼは、学校間格差をはてしなく拡大していくことをもたらします。
uumin3さんにおかれては、「全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から」、ぜひ、底辺の視点から見るという視点ももってもらいたいものです。
id:uumin3さんへ、下に書いたように「イチビリ」説は撤回します。失礼しました。

*1:例、足立区区教委は2005年から学校ごとの学力テストの結果を公表しているらしい。行政がスラムをつくり出せば行政コストが限りなく膨らむと思うがね。