松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

学力テストを実施する役目は終わったと思う。(3)

http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20080928#p1
uumin3さん RESありがとう。

議論の筋をたどるためにその前のわたしの発言9/28から振り返ってみますね。
1−1。全国学力調査はアセスメントのための調査である。
1−2。すべての生徒に対する調査(しっ皆調査)を行う必要はない。
2−1。 調査は学力を正確に計り得ていない。
2−2。大阪で結果が低かったのは、イチビリ係数か高かった為に違いない。
3。 調査結果は校長に「この箇所に努力を払うべき」という箇所を教えてくれるわけではない。
4。 全国学力調査の結果=リニアに教育の序列がつけられてしまい、悪影響がある。
以上です。

それに対しid:uumin3:20080928#p1 は、
1−2。すべての生徒に対する調査(しっ皆調査)を行う必要はない。に対し
「いえいえ、これは全国で同一のテストを行う必要が「ある」のですよ。」という明確な答。

 しかし同じ問題を設定して全員の結果を見ることができるなら、各教科(分野)ごとのある時点での相対的な評価は出せますし、それを暫定的に(各教科での)「学力の現れ」と判断するのには一定の合理性があります。
 そしてそれぞれ違った取り組みをしている各地の各所の学校の相対評価を曲がりなりにも出すためには、一律のテスト以上に有効と考えられる手段はなかなか考えつきません。
 各学校の立場というものはあろうかと思いますが、全体に責任を担わされている側がこの発想をするというのは立場的に自然でしょう。

 「学校の相対評価を曲がりなりにも出す」ことがこの全国学力調査の目的であると、uumin3さんは考えているのだ。世の中には「全体に責任を担わされている側」というものと「全体に責任を担わされてはいない側」というものがいるのだ、という世の中の見方である。*1
さてここでは対話の為に「全体に責任を担わされている側」というカテゴリーを受入れよう。そして「全体に責任を担わされている側」として文部科学省を想定しておく、私は。
 なるほど全国の「学校の相対評価を曲がりなりにも出す」ためには、全国の学校で試験を実施する必要がありすね。しかしこの試験はそんな試験だったのでしょうか。
によればこの調査の目的は3つ。

○ 国が全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から各地域における児童生徒の学力・学習状況をきめ細かく把握・分析することにより、教育及び教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図る。
○ 各教育委員会、学校等が全国的な状況との関係において自らの教育及び教育施策の成果と課題を把握し、その改善を図るとともに、そのような取組を通じて、教育に関する継続的な検証改善サイクルを確立する。
○ 各学校が各児童生徒の学力や学習状況を把握し、児童生徒への教育指導や学習状況の改善等に役立てる。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/zenkoku/07032809.htm

 目的は「児童生徒の学力・学習状況をきめ細かく把握・分析する」ことですね。「学校の相対評価を曲がりなりにも出す」などということは目的ではありません。3項目ありますが、国とその補助機関としての県市(教育委員会)が「全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から」改善を図ることがメインです。
本当は「学校の相対評価」を出すことが目的であるのに、うわべだけそう書いているだけだと読まれるのでしょうか?

「義務教育で全国的に習得すべき必須の内容を決めて、それをできるだけ平等に学ばせるという点では文部科学省が責任を担っています。ですからどこがどう足りていないのかを知る手がかりとして、」やっているわけですね。「学校の相対評価」などというものが一体どこから出てくるのやら。

 ですから「そうしたことを知るために設計されたテストではないのですよ。」とどうして言い切れるのか、私には見当がつきません。それでは何のためのテストだとあなたは判断されるのか、根拠をあげたうえでお教えいただきたいものですね。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/20020501.pdf で背景として、次の3つがあげられています。

○学校教育の現状や課題について十分に把握する必要性
○国際学力調査の結果にみる学力や学習意欲の低下傾向
○義務教育の質を保証する仕組みの構築の要請 (文部科学省

 ある学校で「うちはどこそこの分野で生徒は良くやっている」と評価しても、それが本当に良くできているものなのか、あるいは相対的にまだまだなものなのか、それはこういうテストでもしなければきちんとした評価はくだせません。(uumin3さん)

どうですか全くニュアンスが違いますね。そうです。学校教育の現状の問題点を知るという第一の目的がuumin3さんの問題意識からは全く抜け落ちているのです。
それに対してuumin3さんがどういう言い訳をするかというと、(わたしのような理解も)「一概に否定することはできない」といった文体によってです。たいていのもっともらしい主張は一概に否定することはできません。しかし第一の目的を無視しているということはuumin3さんがこのテストの目的を誤解していることになります。


「全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、その改善を図る。」とはどういうことでしょうか?
刈谷剛彦氏はこう書いています。9/28毎日新聞オピニオン。

最大の問題点は、国も県も市も結果の解析が不十分で、データを生かしきっていないことだ。
(略)ただ個人情報を国が集めるのは問題があるのでサンプル調査とすべきだろう。
 こうして浮かんだ課題を市町村や県教委は吟味し、力のある教師や加配教員をどこに配置し、教員研修の機会をどう設けるのかといった行財政的な政策を考える責務がある。各県の検証改善委員会は、行財政的な政策に重点を置いた分析をほとんどしていない。

 どうですか、これを読んで。金がないのに行財政的な政策なんてできない、で思考停止ですか。何を言ってるんだという気もしますね。力のある教師を底辺校に配置し、厚く処遇すべきだなんてことは何十年も前から大規模なテストなどしなくても分かりきったことだ。底辺校とエリート校なら底辺校の教師の方が大変なのは当然。しかし楽なエリート校の教師の方が厚く処遇されエリートコースになっていたのではないか。要するに教育を底辺の視点から見るか、エリートの視点からみるかが大きな分岐点。「全国的な義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、」というのは当然底辺の視点から見ることを含意している。しかるに橋下氏とuumin3さんは*2エリートの常として、底辺の視点から見ることを頭から拒否している。


以上が前半です。*3
次に、悉皆調査かサンプル調査か という論点を扱います。
長くなって恐縮ですが、お互いに学習しながら、uumin3さんも教育に直接携わる立場の方でないならお言葉どうり柔軟に、対話を続けていきたいと希望します。
 ・・・それぞれの方がご自分の印象・意見を持たれるのは自由だと思いますが、その発想に縛られて他が見えなくなるというのは不自由なことだとも感じます。「国家の押しつけ」云々を一旦横において、一律のテストを試行する意味について再考なさるのも無意味なことではないと愚考します。・・・

*1:「全体に責任を担わされてはいない側」というのは今話題のニッキョーソというものなのだろうか

*2:だけでなく各県市ものようだが

*3:後半のUPが多少遅れるかもしれません、すみませんが