松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

闇の子供たち

 宮崎あおい主演*1ということでも話題らしい映画「闇の子供たち」みてきました。この映画は注目すべき作品でまだ上映中なのでよかったら見に行ってください。平日の真っ昼間1回だけの上映でしたが満員でびっくりしました。


トラフィッキング問題とかの専門家齋藤百合子さんの文章が、連れが買ったパンフにあったのでちょっと引用してみたい。

 阪本監督とプロデューサーから小説「闇の子供たち」の映画化へ打診があったとき、私は反対した。映画化することでかえって児童売買春に刺激を与えてしまうこと、センセーショナリズムは一時的な関心と同情を呼ぶが、人身売買の背景となる社会経済及び政治的な構造の問題の解決には向かわないと考えたからである。

 問題をセンセーショナルに扱うことは、被害者を憐れみ、同情し、「無力」で「無垢」なイメージを作り上げる危険性がある。加害者に対峙するより、「非力な」被害者を救出することに、マスコミをはじめとして社会的関心が集まるかもしれないが、センセーショナルに取り上げ続けなければ、社会的関心は薄れてしまう。またセンセーショナルに取り上げれば取り上げるほど、現代は、こうした犯罪行為に逆に関心を抱いて行動する輩が発生する。

 可哀想な(少年)少女と悪逆なギャンクそれを救い出す日本人ヒーローというステロタイプ、主人公が可哀想であればあるほど観客は涙を惜しみなく支出できカタルシスを得られる、そうした映画が必ず悪いというわけでもないだろう。しかし、このテーマについてそうした安易な映画を作ってしまうことは、その本当の深さを隠蔽することになってしまう、と齋藤先生は考えた。

正しい問題意識でもってアプローチすればそれで良いかというと、そうでもない場合もある。正しいNGO活動家も、上記の伊藤さんのように殺されてしまうこともあれば周囲に迷惑をかけることもある。

このブログには「レイプしましたで検索した結果」という記事があるのだが、レイプというキーワード検索でこのブログを見にくる人が今でもいる。でそうしたただのスケベオヤジと同質の部分をわたしが持っていないわけではない。
レイプされているところを見ていてはいけない、介入し場合によっては殺されなければいけない。しかしそれが正しいのならかえってヤバイ地域には一生立ち入らず見聞きもしない生き方が増えるだけという気もする。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050317#p1

知ることから始まるしかない。知らないことはわたしにとって存在しないのだから。しかし知ることが常に正しいわけではないし、それを知る権利があなたにあるのかどうかは分からない。無料であろうと有料であろうと、あるものを購入することにより、それを最初からなかったものとして無視する権利や主体に不愉快な反作用無しにおいしところだけ吸い取る権利を獲得できるとする発想は、間違っている。*2

*1:野原はもちろん世捨て人なので彼女を知らなかったわけですが

*2:資本主義に必須であろうがなかろうが