松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

十分な資料や記憶なしに

 十数個の抽出した例は、私が数年間に接した表現の量からいえば微少であるが、抽出の仕方は、数年間に接した全ての表現の質に対抗しうるはずである。それは正確さという意味ではなく、いま発表しうる範囲内で任意に、十分な資料や記憶なしにおこなわれたということによって一層そうである。
http://666999.info/matu/data/hukakutei.php#hukakutei

 十分な資料というものが論文成立のための必要条件となる。それなしに書き始める。数年聞に接した全ての表現の質に対抗しうるという基準において。松下はハイネとブレヒトの研究者であった。対象文学者が書いたものならささいなものでも尊重しそれ以外の表現には基本的に興味を持たないという差別を乗り越えるために、松下は表現の質という基準を持ち出す。文学は知性や知識や資料や時間に恵まれたものたちによる営為か。皮肉な事に文学史はそうではないことを教えている。反転の契機という啓示。